スタッフ日記


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その3』
 こんにちは!山瀬です。昔のコーチの様子や練習での出来事などをなるべく多く紹介できるよう、鈍ってきた?頭をフル回転させ自分の記憶をたどっているところです。

 私はSSSで多くのコーチに指導してもらいましたが、中でも1番長く指導してもらったのは岩越コーチだと思います。今回と次回の日記では当時の岩越コーチの指導や練習のことなど、自分の記憶の範囲内ですが紹介できればと思います。

 当時の練習では、まずみんなでブラジル体操をしてから練習に入っていました。それから基礎練習をして、対人の1対1や2対2という流れが多かったような気がします。特に岩越コーチは対人練習が多かったと思います。

 もちろん他の練習もありましたが、やはり私は対人練習の記憶がとても強く残っています。1対1などはやっていても楽しく、そして実際のプレーの中でも、とても重要な部分です(私のサッカー選手としての経験の中でも、1対1の強さとその重要性を強く感じました)。

 当時、自分の代と1つ上のチームは、対人が強い選手が集まっていた印象があり、中でもFW、MF、DFの中心ラインに1人ずつは道内トップレベルの選手が居たと思います。

 私の代の場合はDFの矢野君(SSSホームページにも載っていますが、高卒で柏レイソル入団)と、よく対人練習をしていました。私も1対1には自信を持っていましたが、矢野君も本当に強く、高いレベルで練習を繰り返したことがお互いのためになったんだと思います。

 実際に当時の試合では矢野君ぐらい守備が“つよっ(強い)、おもっ(重い)”と思う選手はいなかったと思います。普段の練習から高いレベルで行うことで実際の試合の相手が軽く感じました。そういう意味では同期にプロレベルのDF(というかプロになったのですが)がいてラッキーでしたし、そのおかげで対人の強さを手に入れることができたと振り返っています。

 ですが、プロの世界に入り、対人にはかなり自信のあった私なのですが入団したチームで上には上がいるというか、“あの人は絶対抜けない”くらいのレベルの選手が何人も出てきました。

 さて、みなさんはチーム内にお互いに高いレベルで高めあって、ガチンコの真剣勝負をできる相手がいるでしょうか?

 試合で1対1の局面でほぼ抜ける、またはほぼ抜かれないくらいの一つ飛びぬけた能力の高さをつける、そのくらいの意識で取り組んで欲しいです。(全国レベルは当たり前で、世界レベルを意識してプレーできるぐらいの選手が育ってほしいものです!)。

 このように高い意識を持って1対1などの対人練習を繰り返すことで強い選手が生まれてくると思います。これが、SSSの選手育成の良い伝統でもあり、ストロングポイントとして挙げられることだと思います。

 ちなみに今練習を見ているジュニアユース1年生たちも1対1などでは、楽しそうに積極的に取り組んでおり、伝統は継承されているようです(本当は基礎のパスやリフティングも対人練習ぐらい積極的に取り組んでほしいものです・・・)。
 

2015/11/28

 

▲ページ上へ

 


岩越 英治

「高円宮杯全国へ向けて」
 全道大会を振り返り、初戦のDOHTOジュニア、次戦のスプレッド・イーグル函館FCがポイントでした。特にスプレッド戦は、すぐに先制した後、押し込む時間が長くなってもゴール前の質があがらず追加点が取れませんでした。そして相手の少ないチャンスを守りきれず失点。しかし、最後まであきらめず、ロスタイムで同点に追いつけたことは評価に値すると思います。

 決勝のコンサドーレ戦は全国を見据えた試合となりました。その中、1週間重点的にトレーニングしてきた積極的守備からのシンプルな攻撃も発揮できましたし、両チームともにゴール前の攻防などは見応えのあるものでした。今年の成長の跡が見える一番良い試合だったかもしれません。

 大会を通しての課題は、前線の選手が孤立してしまうことが多いので、チームでボールを動かしながら“個”を出していく事を積極的にしてほしいです。特に気持ちの上でも“逃げないプレー”を選択していかないと、個の良さや強さは出てこない! これは、プレー面でもそうですが、日頃の生活の面でも各々が自覚を持って“自立”をしていかなければ、磨かれない部分でもあります。

 全国へ向けては、チーム全体のより一層の強化はもちろん、メンタル面の成長も不可欠。試合によっては、メンタル面のコントロールができず、ベンチやまわりの声も聞こえていないような状況もありました。今後は、良い緊張感を持ちながらも冷静でいられるようなメンタルを鍛えなければなりません。

 メンタル面を含めた個の部分が更に成長出来れば、今年はかなり良い試合になると期待していますし、北海道を代表して戦うという意地も見せたいと思っています!

 最後になってしまいましたが、関係各位からの多くのご声援、サポートに感謝しております。
 

2015/11/17

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その2』
 こんにちは! そろそろお馴染み?となりました山瀬です。前回、得光コーチをご紹介しまして、今のところご本人から反応がないので、勝手に『その2』に入りたいと思います。

 これは、最近気づいたことなのですが、得光コーチは、かなりなガンダム好きだと知りました(俗にいうファースト世代)。で、実は私もガンダム好きなのですが、これはもしかして、得光コーチから脈々と受け継がれてきたものなのではないかと思い始めました・・・。

 なぜなら、私が幼少時によく兄弟でSSS事務所におじゃましており、得光コーチ→兄→私というような構図が想像できます。

 ちなみに、最近、得光コーチに確認したところ、私の記憶にあったテレビゲームのソフトが「ああ、昔事務所にあったよ」との事だったので、この系統は間違いないな、と自信が確信に変わりました。

 ただし、最後に得光コーチからは「今はゲームをしてる暇なんてないからな!」と、釘を刺されましたが。

 今回は日頃の仕事と関係の無い話のようでしたが、別のコーチからは「へー、ガンダム好きなんだ? お前、1UPしたな。他の会社(クラブ)では、なんの役にも立たないけど・・・。」と、初めてお褒め?の言葉を頂きました。
 

2015/11/12

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その1』
 こんにちは山瀬です! 今回は予告しておりましたSSSのコーチ紹介を私が知っている昔の様子を交えてご紹介したいと思います。

 まず1人目は、幼少時に事務所でよく遊んでもらっていた柴田得光(とくみつ)コーチです!

 当時の幼い時の記憶なのですが、ほんとによく笑っていて、いつも笑顔だったなぁという気がします(と、言うか今でも笑い続けているような!?)。

 引退後、SSS事務所に挨拶に来た時に、約15何年ぶりぐらいにお会いした事になりましたが、合った瞬間すぐ得光さんだとわかりました。

―――『得光さん!昔からまったく変化してないー!?』

 もちろん現在もお世話になっているので言いにくいのですが、当時とあまりにも変わらないフォルムなので、若いと言うよりもはや年齢不詳です。

 最近は指導の現場で一緒の事もあるのですが、いつもニコニコと笑顔で子供たちと接しているのを見かけました。子供たちもとても楽しそうにしているのを見て、昔、私もこうやって教えてもらっていたのかなーと、なつかしく思いました。
 
 ここからは、少し真面目な話になりますが、幼稚園や小学生低学年の指導現場は、思ったよりも大変でとても難しかったです。特に小さい子どもたちは、3人ぐらい同時に話しかけてきたりすることもあります。

 また、子どもたちが元気すぎて、まだ急に自分の体をSTOPできなく、ぶつかったりしてしまい、痛がる子もいます。

 その時、大丈夫だろうなーと思いつつも私は「痛み引くまでちょっと休んでようか?」という感じで対応したのですが、得光コーチは、大丈夫そうな子には「○○くん、痛いの? もうサッカーできない? じゃあ救急車よぼうかなー?」などと冗談のように言うと子供は「できるー!!」と言って試合に戻っていきます。このような対応は、さすがベテランのコーチだなぁと、勉強になりました。

 と、最後はちょっと『深イイ話?』で、終わりたいと思います(まだ話はあるのですが長くなりましたので、次の機会にしたいと思います)。
 

2015/10/30

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

幼少時のSSSの思い出・・・
 こんにちは! 最近連続日記アップ中の山瀬です(この調子で今季の日記最多登板記録を密かに狙っています・・・)。

 ところで、前回までの文章を自分自身で振り帰って読んでみると、子どもたちにとっては堅苦しい事を書いているかなー? という気がしてきましたので、今回は気軽にSSSの思い出話などをご紹介したいと思います。

 さてさて、時代はさかのぼりまして、当時私が通っていたころのSSSは、今の規模ほどクラブも大きくはなく、コーチたちの人数も少なくてもっと近い存在(お兄さん的な存在?)だったように思います。

 その中、私はよく兄弟やチームメイトと現在の事務所に気軽に行って、何かしら遊んでもらっていた記憶があります(ちなみに今の事務所は遊び要素0です)。

 そして、特に遊んでもらっていたのが、当時と変わらない得光コーチです!(詳しくは、次に書く予定のコーチ紹介でと思っています)

 どのような遊びをしていたかというと、ファミコン、スーパーファミコン、トランプ、人生ゲーム、ジェンガなど種類が豊富で、小学校低学年だった私は、とにかく遊びが楽しい時間だったと記憶しています。

 なので、得光コーチや、後に紹介する予定のYさん(匿名希望らしいです)などは、コーチというより遊んでくれる近所のお兄ちゃん的な感じに思っていました。しかも、ファミコンの裏ワザとか見せつけられて、「この人スゲー、高橋名人かっ!」と子どもながらに驚き、嬉しかったことを覚えています。

 その流れなのか、今でもあけぼのSSS教室で、子どもたちの遊びの場が提供されているというのはすごいと思います。やっぱりサッカーはもちろんですが、子ども時代には仲間と思いっきり遊んだりすることも大事だと思います(言うまでもありませんが勉強も大事ですよ!!)。

 では、次回は『山瀬的コーチ紹介その1』として、当時のコーチのことなども振り返ってご紹介したいと思っています(反響によっては2人目のコーチ紹介につなげたいと画策しています)。
 

2015/10/23

 

▲ページ上へ

 


鈴木 政裕

全日本少年サッカー大会北海道予選を終えて
 10月10日(土)から12日(月)に恵庭市で、第39回全日本少年サッカー大会北海道大会が行われました。SSSは札幌予選を勝ち抜き、今大会に参加することとなりました。

 すべてのサッカー少年少女が憧れる全国大会。SSSの選手たちも4月から、この大会への思いは大きかったと思います。昨年度、一学年上の先輩たちが全国大会に出場していることや、5月に参加したチビリンピックの全国大会での悔しい経験が、今大会への思いをさらに大きくしたのだろうと思います。

 長期のリーグ戦を経て、自分たちの課題を明確にし、トレーニングに励んできました。技術・グループ戦術を何度も見直し、それがゲームや大会で発揮できるよう、チャレンジし続けてきました。うまくいかないことの連続でした。トレーニングでできることが、大会でできない・・・。緊張感あふれる大会で、SSSらしい躍動感のあるプレーをするために必要なタフなメンタルを身に付けることができるように、ミーティングを繰り返してきました。

 今大会に入ってからも、1・2回戦は、相手の強い思いがあふれるプレーに受け身になり、今まで積み上げてきた力を発揮することはできませんでした。しかし、勝負どころでは、随所に楽しいアイディアのあるプレーを魅せ、辛うじて、勝利することができました。この大会に賭ける思いは、どのチームも大変大きいというのを実感させられた2日間でした。自分たちの目標に、本気になって、突き進む強いメンタルが求められる大会であると再認識させられました。

 そして、迎えた最終日。準決勝の相手は、室蘭大沢FC U12。技術的に優れ、戦う気持ちの強い選手が揃い、何よりチームとして一体感が感じられるチームでした。しかし、立ち上がりからSSSの選手は、自分たちの判断で積極的にプレーし、ミスはあるもののピッチ内で躍動していました。その結果、全員が出場し、5対1で勝利。

 決勝の相手は、強豪のコンサドーレ札幌U12。夏の全道大会でSSSは、ベスト8で対戦し、PK戦の末敗戦。その後、コンサドーレは全道優勝を飾っていました。全国大会出場の目標と夏の悔しさが重なり合い、試合前のチームの空気は、最高潮!さらには、ベンチ入りできない仲間や中学生もその輪に加わってくれ、チーム、そしてクラブとしての強い絆が、選手たちに大きな勇気を与えてくれました。

 試合では、キックオフ直後から高い集中力を見せる選手たち。ハイプレッシャーの中でも、ゴールをめざして、攻撃的にボールポゼッションをしようとする選手が多かったです。トレーニングしてきた、ワンタッチプレーも選べる準備を連続でする選手が多く、フィニッシュも落ち着いていました。攻撃的なチャレンジの結果、ボールを失う場面も多々ありましたが、攻撃から守備への切り替えの速さ、1対1の守備の判断が研ぎ澄まされていました。1年前とは比べものにならないほど、ピッチ内で会話があり、自分たちでコーチングし合う場面は、チームとしての成長とたくましさを感じました。結果は、3対2で勝利。全道優勝とともに全国大会出場の切符を獲得できました。

 選手たちは、オン・ザ・ピッチ、オフ・ザ・ピッチのどちらでも「チームのために何ができるか」を本気で考え、自己表現していました。1人1人の思いの強さと、チームとしての太く強いつながりが、今大会の結果に表れたと思っています。

 12月の全国大会に向けては、課題も見つかりました。1.ハイプレッシャーの中でも、ボールを失わずにゴールへと進むために必要な技術やオフ・ザ・ボールの動きの質。2.仲間のかかわりを意識した仕掛けと連続したかかわり。3.チームとしてのより速い守備の決断力。4.1対1の守備力。5.フルタイム、ハードワークできるフィジカル。そして、1から5までの課題に本気で向き合ってトレーニングする中、鍛え上げられるであろうタフなメンタル。メンタル面の強化は、オフ・ザ・ピッチ、つまり日常生活の過ごし方が、大きなカギを握っています。みんなで声を掛け合って、課題を克服していこう!

 君たちが掲げている目標は、ここで終わりではないはず。確かに1つの大きなヤマは、みんなの力で乗り越えました。しかし、目標に向かって本気なら、ここで歩みを止めてはいけません。みんなで前に進もう!!目標は1つ!!

 最後になりましたが、今大会も多くの方々に会場まで足を運んでいただき、あたたかい応援を感じることができました。選手たちは、大きな勇気をもらいプレーすることができました。本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました!
 

2015/10/23

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

サッカーを始めたきっかけは? SSSでサッカー人生のスタート
 こんにちは! 3回目の登場となります山瀬です。今回は、私のサッカーの原点を振り返りながら、少し昔の事を書いてみようと思います。
 
 長いSSS生活とサッカー人生を振り返りますと、まずは始めたきっかけが大事だったように思います。みなさんは、サッカーを始めた頃やきっかけなどを覚えていますでしょうか?

 兄弟が先にやっていた、友達からさそわれた、単純にサッカーが好きだった! 親御さんの立場でしたら、スポーツで元気に育ってほしい、将来サッカー選手として活躍してほしい、などもあるかもしれません。

 私の場合は兄が先にやっていたのがきっかけでした。ちなみに、兄はまだ現役で今は京都サンガFCに所属しています(ブログもやっているみたいなので良ければ覗いてやってください。私は見たことないのですが・・・)。本人の許可はとっていませんが、これからもちょくちょく話に出そうかと画策中です。

 その兄の小学生時代、一緒にサッカーについていった時の話ですが、幼稚園年中頃の私はサッカーをしに行くというより、何か遊びに行く感覚だったと思います。その中、当時の初代校長の奥さんが会場にいらしていて、「本格的に始めたら、いろいろな遊びやゲームもできるよー」というような感じで、誘ってもらったように覚えています。

 その時ゲームと言えば、当時はファミコン(今の子どもたちは知っているのでしようか?)で、私はソフト?もしかしてゲーム機本体が貰えるのでは!と期待し、ついて行ったような淡い記憶も残っています(後日サッカーボールのぬいぐるみ的なものをもらったような・・・ただし古い記憶なので、間違っているかもしれません)。

 と、サッカーを始めたきっかけとしては、多少説得力に欠けますが、もちろんその時から体を動かすことが好きだったので、どちらにしても(ファミコンがあってもなくても?)SSSには入っていたと思います(この頃から、ゲーム好きになったのかもしれません。今はやっていませんが・・・)。

 そして時は流れまして、選手引退後の今現在もサッカーに関わることができ、しかも自分が育ったSSSで指導者としてサッカー人生が続いているのは、本当にありがたいことです。

 思い起こすと、このような幼稚園の頃の出来事が、まさか自分の人生のほとんどを占めることになるとは、すごいことだなぁ、と改めて振り返っているところです。

 さて、みなさんはどういうきっかけでサッカーを始めたのかはそれぞれあると思いますが、私自身がそうだったように、「サッカーを始めて良かった! 仲間とのサッカーが楽しい! そして長く続けて良かった!」と、いつか思える日が来てほしいと願っています。

 そして子どもたちが今後、中学校、高校、大学、プロ選手、または社会というなかでSSSでのサッカーや生活で学んだことがひとつでも役立つように、かつて自分がSSSで成長させてもらったことを今の子どもたちに伝えられるようにと思っております。

 指導者としてはまだまだ経験不足で、新米ではありますが、サッカーに関われる喜びとフレッシュな気持ちを忘れず、選手たちと同じように自分自身も頑張っていきたいと思います!
 

2015/10/03

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

SSSの一員として
 皆様こんにちは! スタッフ日記に2度目の登場となります山瀬です。これからどのくらいのペースで日記を書けるかは自分でも未知数ですが、早速、新しいパソコンも導入していただきましたので、頑張りたいと思います(ある怖い?先輩には、最新パソコンのスペックに見合う活躍をしろよ!と、早くも叱咤激励を受けています・・・)。

 さて、前回の続きにもなりますが、自分を育ててくれたSSSという歴史あるクラブで、指導現場に立つ機会を与えていただき、有難いという気持ちと併せ、日々感じるところがあります。

 特に日頃の練習で子どもたちに伝えていきたい部分は、私自身もSSSで身に付けたと思っている「自ら考え、判断し責任を持って行動する(自ら判断・決断し責任を持ってプレーする)」という個の育成の部分です。

 もちろんサッカーをする上で「技」の習得も大切ですが、その前に人間性の部分がしっかりしていないと、プレーするレベルが上がるにつれ、選手として活躍することは難しいと実感しています。

 これはクラブの指導理念のひとつでもある「スポーツを通じての青少年の健全な育成」ともつながっていることだと思います。

 SSSが今年で36年目という歴史を刻む中、私自身も生徒として、そして今後は指導者としてその一部に携われることは、感慨深いものがありますが、これから50年、そして100年と続くクラブとなれるよう、私もSSSの一員として頑張っていきたいと思っています。

 と、ここまでは少し硬い文章になってしまいましたが、次からは、昔のSSSや当時のコーチはこんな感じでしたよー! など自分の体験談や、サッカー人生を振り返りながら、なるべく興味持って頂けるような内容をご紹介していきたいと思います(許される範囲で暴露?したいと思いますが、SSS裏の編集長が誰かはまだ分からないので警戒中です)。
 

2015/09/16

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

よろしくお願い致します!
 皆様はじめまして! 今年度からSSSのコーチとして指導させて頂きます山瀬幸宏です!

 まずは、簡単に自己紹介させて頂きますと、私自身、幼稚園から中学生までSSSにお世話になり、高校から横浜F・マリノスのユースに入団し、その後トップに昇格しました。

 その後、12年間の長いプロサッカー生活でしたが、今年1月に引退。自分を育ててくれたSSSで、指導者という新たな道に進むことができ、大変うれしく思っています。

 この場を借りて、選手時代に応援・サポートしてくださった皆様に、心より感謝申し上げます。

 指導者としてはスタートラインに立ったばかりですが、自分が経験してきたことを生かしてサッカーの楽しさや技術を伝えていくことはもちろん、スポーツを通じて子どもたちの成長の手助けができるよう、一生懸命頑張っていきたいと思っております。

 今後とも、皆様どうぞよろしくお願い致します!
 

2015/09/09

 

▲ページ上へ

 


田古嶋 愛子

ブラジルサッカーこぼれ話・・・(2)
 そして、バックトゥー○フューチャーのデロリアンに乗るがごとく、話しは一気に四半世紀ほど前にさかのぼり・・・現地では当時サンパウロ州2部のプロクラブでトップチームに橋本さんがおり、ジュべニール(16・17歳ぐらい。日本では高校生年代?)という区分の下部組織にYコーチが在籍し、それぞれ午前と午後分かれて練習していたそうです。

 ちなみにブラジルのトップクラブ(もしくは資金的に恵まれているクラブ)では、下部組織のグループが2歳刻みで分けられているそうですが、クラブによっては資金的な面もあり、育成のカテゴリーが大まかなところもあるようです。両名が所属していたクラブは、ジュベニールの上の年代となるジュニオールも無かったとのこと。

 トップのプロ選手と下部組織の選手たちではサッカーを離れたところで仲良く話をすることがあっても、練習はもちろんのこと、ロッカールームなどは別だったそうです。クラブ内ではプロ選手とその他の選手たちでは『見えない壁』があるらしく、同じ日本人同士であっても橋本さんとYコーチは練習中には話をしたことがなかったそうです。

 そのような中、Yコーチがジュべニールでの練習後のある日、「トップチームの練習に参加してみるか?」と誘いがあったそうです。とは言っても、いきなり紅白戦などに出場できる訳もなく、コーチから「まずはキーパー練習を手伝え」と、キーパー相手に延々とキックを繰り返す日々が続いたそうです。その後、一生懸命な姿が認められたか、毎日参加させてもらえることになり、ついには紅白戦に出場できるなど充実したブラジル生活となったようです。

 橋本さんは「当時は私自身、自分の生き残りをかけてプレーしていましたので、Y君のことなど構っていられませんし、もちろん、一切口利きなどできる訳もありません。Y君本人がその後どう言っていたかは知りませんが、トップチーム入りは下部組織からの推薦がなくては入れませんし、Y君の実力でつかんだものですよ。」つづけて、「でもあの厳しい世界によく16歳ぐらいで入れたなー。その時は一切褒めなかったけど・・・」と25年以上もたってからのお言葉に「今頃ですか・・・。当時に言ってほしかった・・・。」と、苦笑いでした。。。

 また、「ある時のトップの紅白戦では、Y君がプレーで目立ってしまったばかりに、完全に足を狙ったタックルを食らってましたよ。実際に足の骨を折られたんじゃなかったかな? 当時のブラジルでは、毎日クビがかかっているようなものなので、紅白戦でも生きるか死ぬかというような覚悟を持った厳しいプレーの連続でした。このあたりは、日本のサッカーの感覚にはないところでは?」とも仰ってました。

 ちなみに、橋本さんは、いまだに体もプレーもキレッキレッで、ホームグラウンドで初開催となった社会人部門(ミドルチーム)の公式戦では、フルタイム出場で、勝利に貢献していました(そのプレーぶりから、後で年齢を聞いてさらにびっくりの超人キン肉○ンでした。。。)。

 ちなみにこの試合には、もうひとりのYコーチ(ヒント、左利き・上手い)、Sコーチ(ヒゲ・ヘディング強い)、Nコーチ(表向きまじめ・プレーは腹黒い)、Dコーチ(背筋ピーン・地元のスター)、Tコーチ(学生時代ディエゴの異名)も参加し、それぞれに活躍が光っていました。

 今回の話しで噂のYコーチは、予想通り(!?)けがのため不出場。。。今季の出場は1試合の10分のみ、1プレー、1ゴールという結果となっています(果たして、この結果はどうなのでしょうか・・・)。
 

2015/09/06

 

▲ページ上へ

 

<< 前の10件  次の10件 >>