スタッフ日記


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その11』の続きです
 12月7日のスポーツ報知新聞でも大きく記事になっていましたが、SSSのプロジエクトが取り上げられた本でも、前回のスタッフ日記で紹介した吉徳コーチが特命チームの中心人物として描かれていました。

 本当はスタッフ日記の最初の段階で紹介しようと思っていましたが、触れてはいけない存在!?(アンタッチャブル)という噂もありましたので、今まで警戒しておりました。ですが、人生避けては通れない茨の道もありますで、前回に続き出来る限り紹介してみようと思います。

 まずは、私が選手引退後に指導者としての道を考えていた時、SSSでお世話になる道程を吉徳コーチに作っていただきました。その後、何度も相談をさせていただく中、まず始めに「お前、昔の楽しい子ども時代の記憶があるかもしれないけど、SSSで仕事となったら話は別だぞー!!」と、すごい目力でまずは威圧面接?を受けました(威圧のオーラと風圧で、髪が真後ろに流れるほどの『ヘアドライアー(ファーガソン元監督の愛称)』のようでした。もしくは『魁!!男塾』三号生筆頭の大豪〇邪鬼です。

 また、「ところでお前は、幼少時からSSSに通っていたんだがら、俺のこと覚えているだろうなー? たまに指導もしてたんだぞー!」と、聞かれ、私は即答で「遊んでもらった記憶しかありません!」と正直に答えました・・・(言い訳をするとサッカーも遊びのように教えて貰っていた、ということにします)。

 その話については、以前の得光コーチを紹介した日記を読んでいただければと思いますが、当時の遊んでもらっていた時とは違い、仕事なので当たり前ですが別人のように厳しいです・・・(事務室の奥にいるので裏山に潜む赤鬼のようです。ちなみに事務室には鼻高々の天狗もいるようです。子どもたちは十分気をつけてください)。

 そして、SSSで正式に指導者としての道を歩めることとなったのですが、吉徳コーチからは、高校卒業後ずっと選手としてのサッカー現場しか知らない私に、サッカーの指導についてだけではなく、社会人としての在り方や、仕事の基本から教えていただきました(仙人の行う厳しい修行のように・・・)。もちろん、仕事やスタッフに対しては鬼のようですが、今でもイベントなどで隠れて登場している様子を見ると、子どもたちにはやさしいようです。

 と、ここまでの紹介では、いろいろな意味で不安になってきましたので、少し真面目な内容も触れておきます。

 前回のコーチ紹介でも触れたとおり、吉徳コーチは今、指導現場に立つことは少ないのですが、主にクラブの運営面と施設面などの業務をされています。これは子どもたちの活動環境の向上や、クラブの発展には欠かせない部分だと思います。

 カテゴリーや規模も違い、一概には比べられませんが、SSSの今までの活動内容や、これからの計画を聞くと、私が経験してきたプロサッカークラブと比較しても、ある意味では秀でている部分や、将来の可能性に期待できるのではと感じています。

 特に、IT技術などを活用した国際特許の育成システムなどは、とても興味深いものがあり、これが10年以上前から稼働していたのは驚きました。

 このシステムのバージョンアップ業務に私も関わらせていただき、自分自身の経験や、得意分野を生かし、全力で取り組むぞと、意気込んでシステムの設計図や、特許内容などの説明資料をみさせてもらったところ、あまりに膨大な資料と内容に圧倒されました(これを発明した人?鬼?の頭の中はどうなっているのでしょうか)。自分が担当した1つのバージョンアップだけでも、単純計算で3000項目以上の決め事があり、気が遠くなりそうでしたが、その後の競技会でひとつの形となり、子どもたちも喜んでくれたようです。

 最後に、せっかくなのでいつもように“山瀬eye”でプレーヤータイプ診断させて頂くと「中盤でドンと構える首領」でいいのではないでしょうか。動かざること山の如しですね。また、ラスボスだけに、もし戦いを挑む際にはレベル90以上を推奨します。しかも復活の呪文は封じられますので、安易に近寄らない方が身のためでしょう。
 

2017/12/15

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その11』
 コーチ紹介としては遂にラスボスの登場でしょうか?! というのも今回書く内容が吉徳コーチについてだからです。最近は指導の現場にあまり出ていないため、吉徳コーチと言われて頭にピンとこない子どもたちもいるとは思いますが、私が聞いたところによると現在SSSにある全てのカテゴリーを担当したことのある唯一のスタッフらしいです。

 そこでまずはSSSが総合型地域スポーツクラブとして活動している内容やコースを紹介しますと、種目としてはサッカー・フットサル、バトミントン、フィットネス、ピンポンがあり、年代などによりコースが分かれております。

 サッカーでは、幼稚園年代の幼稚園サッカースクール、キッズサッカー。小学生年代のクリニックコース(プラス特別コースの「虎の穴」)、サクセス、選手登録のサクセスU12、レギュラー。中学生年代のサクセスU15、ジュニアユース。社会人年代のSSSシェフィールド(若手チーム)、SSSアンティーゴス(ミドル)、SSSアンティーゴス40(シニア)。フットサルでは、競技専門のSSSarusa(フットサル)とエンジョイフットサルコース。

 その他、サッカー以外のコースには、キッズフィットネスコース、エンジョイピンポンコース、エンジョイバトミントンコースがあります。

 吉徳コーチはサッカー(フットサル)では幼稚園からシニアまでの全年代、そしてバトミントン、フィットネス、ピンポンも担当経験があり、確かに他のスタッフでは無い指導経験の持ち主だと思います。ちなみに以前に紹介した土橋コーチは、全ての担当では無いのですが、1人総合型スポーツクラブと呼ばれるぐらいに運動神経が良いとのことです(サッカーが上手いかは???)。

 その全てのカテゴリーを担当し、現場を知っているからこそ、SSSのクラブとしての向上と業務の成果が直結しているのではと思います。

 吉徳コーチの業務を知っている範囲で紹介しますと、私が見てきたプロサッカーの世界でいうクラブの社長、GM(ゼネラルマネージャー)という表現が一番しっくりくると思います(私のイメージでは現場の最高責任者が監督、フロントの最高責任者がGM)。SSSでいえばグラウンド、フットサルコート、クラブハウス、多目的屋内交流施設を作るなど環境の向上や運営面での責任者だと思います(SSSの現場では全体を統括するスポーツディレクター職となっているようです)。

 私が指導者として戻った2年前にはすでに専用人工芝グラウンドとナイターという設備があるSSSでしたが(事務所は昔と同じ北区にありました)、初めて石狩のグラウンドに行った時にアマチュアクラブとしてはすごいなとは思いましたが、正直、強烈には驚いていなかったというのもあります。

 というのも自分が高卒でプロの世界に入り、日本でもトップと言われる環境を経験しており、天然芝グラウンド、クラブハウス、選手寮、専用大型バスなど、サッカーをする上では恵まれた華やかな世界と同じ基準と目線でSSSを捉えていたからかもしれません。

 しかしこの2年間で私自身の頭の中も変わってきている今、改めて年々向上していく環境面のすごさを実感できています。車でホーム施設に着くと目の前に多目的屋内交流施設があり、照明付きのグラウンドとフットサルコートがあり、自然の澄んだ空気を吸いながらクラブハウスに入って行く(鳥のさえずりも聞こえます)。グラウンド奥の林側から振り返るとグラウンドの奥に青と黄色のクラブカラーで塗られた大きなクラブハウスが見える、プロクラブでもないのにすごいホーム施設だなと最近改めて感じるようになりました。

 ちなみに私が経験した当時のサガン鳥栖の例を出しますと、私がシーズン途中に移籍した時はまだJ2で、はっきり言ってお金のあるクラブではなく、環境もそこまで整っているチームではなかったと思います(スポンサーは大きかったのですが、まだJ2ということでそこまで出していなかった)。もちろん今はJ1に上がって環境も変わり、相当サポートされていると聞いています。

 練習場は2つに分かれており、その日その日でどちらかを使用する感じでした。練習後に「明日は会場あっちになったから」などもよくありました。着替えは、グラウンドの横には2階建てのプレハブで行い、トイレも工事現場などにある簡易式のものでした。シャワーも簡易式が3つでした。

 さらに土日など会場がとれない時には佐賀県で有名な吉野ヶ里遺跡公園内のはらっぱでトレーニングやランニングを行っていました。遺跡を見ながらのランニングなど楽しい思い出にはなりましたが、今のSSSの環境がアマチュアクラブとしてどれだけ恵まれているかが分かるはずです。

 少し話がずれましたが今のSSSの環境が向上したのは、もちろん多くの皆さまのご協力があってのことですが、そのプロジェクトを企画し、けん引したのは吉徳コーチなのは間違いのないところだと思います(そこら辺のところを紹介するものが今後世に出ると噂に聞いています)。

 と、途中からクラブ紹介と自身の経験の話が中心となってしまいましたので、吉徳コーチの紹介は次回パート2に持越ししたいと思います(紹介したくなくて意図的に話をずらした訳ではありません・・・)。
 

2017/09/25

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その10』
 みなさんこの日記の存在を知っているかどうかはわかりませんが、コーチ紹介も気づけば10回目になります。今回は複数のコーチ紹介ということで簡易的に(いつも通り勝手に)タイプ診断で紹介したいと思います。

 まずは嶋田コーチ。簡単に“山瀬eye”でプレーヤータイプ自動診断をしますと「コンダクター(指揮者)」になるでしょうか。サッカーで一緒にプレーしたのは数回しかないのですがコーチらしくミニゲームにしても正規のゲームにしても、とても声が出ていたのを覚えています。後ろから守備のスタートの時に、「連動してコースを切って行きましょう」など細かく指示していました。また指導面では、担当している少年部門終了後、入れ替わりで中学生部門があるのですが、すぐに選手と会話をしているのをよく見ますので、子どもたちともコミュニケーションを取るのが得意なのでしょう。事務所の(うるさい?怖い?)先輩方にも“かわいがり”を受けながら、うまくコミュニケーションを取っているようです。

 次は“キャプテン” 桜井コーチ。もう少し付け加えると「おひげの優しいキャプテン」と言えば子どもたちはわかるでしょう。社会人のSSSアンティーゴスでもキャプテンをしており、優しい印象とは違い最終ラインで時には激しいプレーで攻撃をシャットアウトしていました。ちなみに大学時代もキャプテンだったらしいです。

 次は“元気印”手塚コーチです。こちらも社会人の試合で数回しか見てないのですが、私が持った印象は「小柄なドリブラー」。前線のポジションをやっていることが多くドリブルで仕掛けている印象があります。

 私の勝手な思い込みなのですがドリブラーって小柄とか足が短い方(端的に言うと短足・・・)が有利なんじゃないかと思います。足が短いと中心軸から距離が近いので足の回転が速い(自分が勝手に思っているだけですよ)、例えば同じ距離を4歩で行く人と5歩で行く人。よく子どもたちにも伝える、たくさんボールにタッチする、小刻みなタッチのドリブルのほうがボールを取られないじゃないかと思っています。

 まさに自分が現役の時にそうだったのですけど(イコール短足?)、とにかく足の回転が速くてどのチームでも“忍者”と呼ばれていました。50メートル走や30メートル走の計測の時は別にタイムは至って普通だったのですが、(なぜか?)足が小回りで速く見えたと言われていました。それが得意のドリブルに生きてたのかなーとも思っています。DFが足を出してきても小回りと素早さで、相手より先に触って抜けていたのかもしれません。

 次は大木コーチになります。まさに「ボランチ」っていう感じです。社会人チームで一緒にプレーした時に真ん中でうまくボールをさばいていた印象があります。やはりレフリー2級を保持しているだけに、レフリーの時のような、先読み先読みでゲームをコントロールしていくように、プレー時もボールもらう前にしっかり先読みで周りが見えているという感じなんでしょうか。

 最後は北村コーチ。タイプは「豪快なストライカー?」です。今はサクセスU-15担当と、私も所属しています社会人のSSSシェフィールドの監督でもあります。ちなみに「昔はバリバリのストライカーで鬼のように点を決めていた」と、自分で言っていました・・・。今でも、自身がプレーしているミドルチーム(SSSアンティーゴス)では、ゴール前で良い動きから(バリバリまではいかなくとも)ストライカーの片りんを見せてくれます。

 今回のコーチ紹介は、一緒にピッチでプレーしたことのあるコーチを中心に紹介しました。まだまだSSSには個性的なコーチがたくさんいますので、もう少し探ってからにしたいと思います。
 

2017/09/06

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その9』
 今回の日記では、SSSのコーチ紹介に戻り、田古嶋コーチを紹介したいと思いますが、実際のところまだそこまで詳しくないので、いつもより少し短くなるとは思います。

 まず、はっきりと分かっているのはスタッフの中で紅一点だということです(見れば誰でも分かりますが・・・)。私を筆頭におそらくあまり気の利かない男性陣の多い中、いろいろなところに気配りされているようです。

 特に、クラブハウスの片づけや、女性用トイレの掃除なども担当されていて、いつもきれいにしてくれています。確かに男子用トイレと比べて使用頻度が少ないとはいえ、私も練習後のチェックや担当の時も違いが分かるレベルです。

 ここで1つ施設を利用する皆様にお願いがあります。SSSの子どもたちにも言っていることですが、トイレなどみんなで利用するところは、気を使ってきれいに使用してほしいと思います。まずは乱暴に扱ったりせず、気軽には汚さないようにしてください(汚してしまったら自分できれいにしましょう)。

 さて、田古嶋コーチとの接点と言えば、クラブハウス2階の事務室での業務時間があります。子どもたちはいつも指導中のコーチの姿しかイメージが無いかもしれませんが、それはもうたくさんの事務処理業務があります(私も慣れるまで大変でした)。

 その中で、電話対応もあり、私もまずまずの対応にはなってきていると思うのですが、難しい要件などは、田古嶋コーチに助けてもらうこともあります。そんな時もさらりと対応してくれるので、さすがベテランの力だなぁと勝手に安心しています。

 私が来るまでは、田古嶋コーチも指導の現場に出ることもあったようですが、最近はあまり現場には立っていないので、わからない子も多いとは思います(フレンドリーカップでは、いつも登場していますよ。さて、どこにいたか気づきましたか?)。

 私が知っているエピソードですと、たまにスタッフ間で食事をすることがあるのですが、大食漢コーチに負けずにけっこうな量を食べているような気もします。さらにデザートも欠かさないようです。ここでコーチ紹介で恒例の“山瀬eye”でプレーヤータイプ自動診断を致しますと「ゴール(美味いもの)への嗅覚。アシスト(デザート)は別腹」と、いうところでしょうか?
 

2017/07/21

 

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山瀬 幸宏

ビックネーム?
 少し前になってしまいましたが、話題性が抜群なことがあったので、せっかくなのでスタッフ日記に残そうかと、久しぶりに登場したいと思います。

 それはずばり乾選手の話です。(リーガエスパニョーラのSDエイバル所属)カンプノウでホームのバルセロナから2得点をあげたことはサッカーをしている人なら記憶に残る出来事でしょう。

 しかも4月にはスペイン国王来日時の食事会に招かれるなど、ニュースなどでも見た人もいるのではないでしょうか。自分もテレビやネットで見て、いやーすごいビックネームになったもんだなーと思っていました。

 乾とはマリノスで2年間ぐらい共にプレーしたので当時の思い出が浮かんできます。乾がマリノスに野洲高等学校から大きく取り上げられながら入団したのが10年くらい前。当時注目されたセクシーフットボールなんて言葉は聞いたことがあるのではないでしょうか。

 もちろん能力、センスはたしかなものがあったのですが体の線は細かったように記憶しています。私が1番印象に残っていることは気持ちの強さというか上昇志向の強さです。

 特に注目度の高い新加入の選手は、記者会見や取材が多くあり(注目度によりますね。自分は少なかった・笑)、今まで私が見てきたのは「少しでも早く試合に出られるようになりたい」、「試合で活躍してチームに認められたい」、「何得点、何アシスト目指します」などまぁいわば安パイな発言がほとんどだったのですが(高卒ならなおさらですよね)、いきなり乾は「Jで活躍して2年で海外に行きます」(2年でスペインだったかな・・)と語り、すげえこというなー、ビッグマウスかなと思っていました。

 案の定その後の練習ではすぐにそのネタでいじられており(特に中澤選手に)、もともと素質があったのか早くもいじられキャラとして確立、チームからも愛されていました。しかしその発言も今となっては現実となっており、海外でサッカーがしたいという誰もが持つであろう思いと、自分のサッカーに自信を持っているからこその強気の発言だったのでしょう。

 1年目からコンスタントに試合に出ているということは、マリノスもビッククラブですからなかったとは思うのですが(もちろん自分とポジションがかぶっていたので簡単に譲るつもりもなかったし)、でも高卒すぐでメンバーに絡んでくるあたりすごいやつだと思っていました。

 プレーで特にすごいと思っていたのがトラップ・ファーストタッチの正確性。乾選手の代名詞は切れ味鋭いドリブルやスピードを想像すると思いますが、私はそのドリブルにつながる1つ前のタッチが乾の1番の武器ではないかなと思っていました。もちろんキレやドリブルスピードはかなり高いのですが、やはりJ1トップで体をぶつけられ潰される場面もありました。でもドリブラーにしてはかなり少ないのではないかと思っていました。

 これは単純に私の思い込みなのですがファーストタッチが正確で優位な場所に置ける(相手が体に触れることができない位置)、その状態で抜群のキレでドリブル開始という印象や場面が今日記を書いている時にもはっきりと頭に浮かんできます。

 ファーストタッチ・トラップが良いのでDFが当たれない、無理に当たりにいけばファールになりそうな位置に止められる。もしくは当たりにいかなければスピードに乗った状態のドリブルを処理しなければいけないという最強の二者択一の状況を作るのがうまかった。それも全ては彼のファーストタッチが生んでいるのではないかと・・・(たいしたことない選手だった自分が勝手に上から目線で語らせてもらいました)。

 乾とはベンチウォーマーでサブとして試合時にベンチで一緒にいることも長かったし、メンバーに絡めない時の居残り練習などの期間を長く過ごしたり、またお互い試合に絡めずに当時のJ2、サガン鳥栖とセレッソ大阪に移籍した後も勝負しあった仲でもあるので今後も是非活躍してほしい反面、サッカープレーヤーとして今の乾に対して羨ましさや、悔しさなども感じています。

 最近の代表で10番を着けていた乾選手、コンサの河合竜二さんや早坂、兵藤などもそうですが昔のチームメイトが活躍していると頑張ってほしいと素直に思う反面、また自分自身がJの舞台でやりたいと非常に心を刺激してきます。その刺激をうまく子どもたちに伝えていけたらと思っています。
 

2017/06/24

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その8・土橋コーチはいろいろスゴイ?』
 前回のスタッフ日記で紹介した社会人チームSSSアンティーゴスの出来事の続きなのですが、そういえばまとめ役の土橋コーチがなぜかチームメイトからいじられてた(良く言えば人気がある?)なぁーっていうのを思い出したのでちょっと書こうかと思います。

 前回も書いたのですが、MF登録の内藤コーチがキーパーを担当したり、人数もたしか11人ちょうどか1人多いぐらいでした(社会人リーグではありがちかもしれません。チームメイト募集中です)。その日はプラスひざのけがをしていた土橋コーチだったと記憶しています。

 まず人数がぎりぎりなのに、土橋コーチがひざのけがで試合に出られないというので、すかさずチームの人から「また大したことないのにそんな大げさにするなよー」、「足もわざと引きずってんでしょ」、「骨折か靭帯が切れてないとけがじゃないから」などなど集まった瞬間からいじられていました。皆さんとても親しそうでしたが、高校や大学などで一緒にプレーしていたのでしょうか?

 試合後の雑談などでは、やはりひざネタと、あと昔のあだ名がすごかったっていうのを覚えています! 私は笑ってもいいネタなのかわからずちょっと離れたとこで聞いていましたが、単純にそんなふうに呼ばれんのスゲー(ぷぷぷ)と思っていました。
 
 この日記を見た子は、直接土橋コーチにあだ名を聞いてみてはどうでしょう? 土橋コーチはサクセスコースを担当していますので、バスの中など聞きやすいのではないでしょうか(もしかしたらはぐらかされるかもしれませんが・・・)。

 ちなみに内藤コーチに続き、土橋コーチのプレイスタイルを“山瀬eye”でSSS競技会的にプレーヤータイプ自動診断させてもらいますと、「サイド際の槍、将棋で言えば香車(縦方向には無限に進める)、もしくは横移動のできない飛車」という感じでしょうか。あと性格は超の付く負けず嫌いのようで、一緒にトレーニングした時もあの手この手を駆使して(ズルをしてでも)対決に勝とうとしてきます。でも結局、一番負けてたような・・・。

 以前事務所でこのような話題になった時に本人も笑っていたので日記に投稿しても大丈夫でしょう(でもメガネの奥の目が笑ってない時も多いような気もします・・・)。
 

2017/02/18

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その7・内藤コーチとアンティーゴス』
 今回は、少し時間が経ってしまった話なのですが、SSSに指導者として戻ってきた2015年の外シーズン、札幌市にある米里グラウンドで試合をする機会がありました。私自身は中学生以来なので15年ぶりぐらいに米里に行ったことになります。

 グラウンドに着くと、入口手前から見えるバスケットゴールや屋外テニスコートなどを見て『いやーなにも変わってないじゃん』と懐かしく思っていました。

 私が中学生の時と同じように、コンクリートの階段みたいな所に荷物おいて土のピッチに入りました。すると『あれ?土がかたいー!』。私としては学校にある走り幅跳びの着地のような砂質の印象しかなかったので、ビックリしました。

 遠目には変わってなかったようですけどグラウンド自体は変化していました。ちなみにあの土、めちゃくめちゃボール扱いにくいですよね!(言い訳?) 試合ではコントロールミスをたくさんしてしまいました。しかもトップスピードでドリブルして、思い切りすっころんで、チームメイトからは「グラウンドにモグラいた?!」、「モグラの掘った穴にはまった?」、「それとも穴から出てきたモグラの頭に引っ掛かったの?」と、ずっと茶化される始末・・・。

 試合の方はというと、SSSには「SSSシェフィールド」という社会人のチームがあり、その上の35歳以上のミドルリーグにも「SSSアンティーゴス」というチームで参加しています。その時はチームのアンダー枠(3人までOKらしいです)で試合に出させてもらいました。オーバーエイジの逆バージョンみたいな感じでしょうか。

 SSSのチームというだけあって、チームメイトのみなさん足元の技術も高く(私よりも転ばず)ベテランのうまいプレーで慣れているようでした。

 その日は、キーパー本職の方が来られなかったので、急遽本来フィールドプレーヤーの内藤コーチが務めることとなり「ふふふ安心して下さい!止めてますよ!!」と自信満々のようでした。実際に試合中は、相手フォワードとの決定的な1対1をセーブするなど助かりました。

 ですが、その自信が過信に変わったのでしょうか。1点リードで試合が進む中、相手のふんわりやさしい山なりの楽々止められるロングシュートを自信満々で見送り、見事に失点! 味方も相手もだますような選球眼?に驚きました(緊張感のあるゲームにするためのいらない演出だったのでしょうか?)

 ちなみに内藤コーチを“山瀬eye”でSSS競技会的にプレーヤータイプ自動診断させてもらいますと「パワーシューター、クラッシャー」などが良く合うのではないでしょうか。

 その日は結局、最後は試合に勝つ事ができ、一安心でした。その後、2015年8月16日にSSSのホームグラウンドで初のミドルリーグ開催。そしてリーグ上位対決(SSSは2位)にホームグラウンドで勝つことができ、逆転首位となる事ができました(ホーム戦で勝つのはリーグで戦う上での基本ですね)。

 SSSを卒業してから約15年。公式試合を伝統の青×黄の縦じまを着て、さらには私の時代には存在しなかったホームグラウンドでプレーするというすばらしい体験をする事ができ、感慨深いものがありました。
 

2017/02/11

 

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山瀬 幸宏

ランニングマン?
 私が担当しているのは主にジュニアユースコースと、サクセスコースと幼稚園、小学校に出向いての指導なのですが、低学年や幼稚園の子が練習の合間などによくランニングマン?しているのを見かけます。私はよく知らないのですが、両腕を斜め上に伸ばしてステップを踏んでいる感じです。EXI○Eのダンスでしょうか?

 さて、指導にあたっているジュニアユースでは、最近タイム走をやるのですが、きつそうに走っている姿が見えます(あたりまえですね)。ですが、「本格的なフィジカルトレーニングはそんなもんじゃなくもっときついんだぞ!」と私が体験した例を交えて紹介したいと思います。

 現役の時にはランニングマンのダンスではないのですが、あるいみランニングしまくっていたランニングマンの時期がありました。プロ時代、監督によって練習後によく20-30分ジョグ(クールダウン)しなさい、というのがありました。「軽くジョグしとくように」という監督もいれば、「絶対するように!」という監督もいました。私なんかの現役時代は適当(!?)な方の選手でしたので、日によってはジョグしないでクラブハウスに戻ることもあり、「ジョグしないやつはその週のゲームはベンチ外だ!」なんてこともありました・・・(反省・・・)。

 ちなみにシーズン前にあった3部練習。ある時には早朝山登り、1000m×8本や10分間走×何本など、ハードなフィジカルトレーニングが必ずありました。

 その中、一番長く所属したマリノス時代では、練習後のジョグをグラウンドから出て、外で走るというのが一時期はやっていました。というのもグラウンドがみなとみらいにあり(マリノスタウンです。今はなくなってしまいましたが)、すぐ横が東京湾で、その湾沿いのランニングコース的なものによく走りにいっていました。

 経路的には、まずグラウンドを出て、東京湾沿いの公園に入りJR桜木町のランドマークタワーや観覧車の横を通って赤レンガ倉庫までというコースです。このコースですと往復で1時間かからないぐらいでした。横浜に行ったことある方はわかると思うのですが、このコースは、さすが観光地!なので、まあ人が多いです。そんな中をユニフォーム(背番号、名前付き)でガンガン走っていました。1人だときついですがみんなグループで行っていました。

 その中、赤レンガ倉庫あたりではミニ四駆大会が開かれていたり、ライブをやっていていたり、ちょうどフェリーが出航するなどいろいろなものを見ることができました(でもとにかく人が多かったなーという記憶が一番です)。
 
 走るコースは、だいたい長くても赤レンガ倉庫ぐらいまで行って帰ってくるグループが多かったのですが、私はよく田中隼磨さん(現所属、松本山雅FC)とランニングに行くことが多く、その先にある「丘の見える公園」という横浜では有名なところまで行っていました。この田中隼磨さんはチーム1の体力の持ち主でJでもトップクラスだと思います。と言うのもシーズン前、だいたいキャンプ前に体力テストでいろいろな項目をマシンなどで数値化するのですが、田中隼磨さんはその中のスタミナ部門のVO2MAXやYo-Yo-テストでずば抜けて1位でした!(Yo-Yo-テスト、簡単に言えばシャトルランの繰り返し、わからない人はネットで調べてみよう!)

 ジャンプ力とかキック速度、キック力、反射神経、6キロ走、あとは目のテスト(視力テストではなくいわゆるスポーツヴィジョンというものです。一瞬数字が映りどこまで覚えているとか、盤の光った所を次々にタッチする)。SSSでも育成年代用のスポーツ競技会(国内・米国で特許取得)というのがあるのですが、それをより本格的にプロ仕様にしたという感じでしょうか。

 VO2MAXというのは顔を機械的なマスクで覆いながら、ジムにあるようなランニングマシンで3分ごとにスピードと傾斜があがっていくテストです。マスクするだけでかなり呼吸しにくくなるのですが、呼吸量や途中で行う採血(ホッチキスみたいなもので指先から血を採取します)で体からでる乳酸量や最大酸素摂取量(1分間や1呼吸あたりにどれぐらい酸素をとりこめているかなど)を見るテストです。

 だいたい開始から20分までは休憩を挟みながらスピードがあがっていくだけなのですが、それ以降は傾斜もあがっていくので20分前後でみんな終了してしまいます(自分もなんとか傾斜が変わるとこまでは頑張っていました)。隼磨さんはそれから傾斜MAXまでいってもなかなか終わらずデータ計測の人からストップがかかって終了していました。そしてデータ計測の人からマラソン選手でもやっていけるというのを一緒にいて聞いたことがあります(マラソン選手は傾斜MAXでもずっと走り続けるそうです)。テストのあのマスクをつける時やスタートの緊張感や、呼吸のしにくさを思い出しただけでも、気持ちがきつくなってきます・・・(ある意味トラウマかも)。

 ちょっと説明が長くなりましたが、1人などでのランニングや、隼磨さん、時には小椋選手(2016年時はガンバ大阪、水戸のガットゥーゾと呼ばれた男)と悪ふざけで、練習場からかなり離れた私の兄のマンションにピンポンダッシュ(よい子はマネをしてはだめですよ)をして帰るなどかなり走り込みをした年でした。

 でもきついトレーニングのおかげでそのシーズンは体が良く動きキレのあるプレーができたと思っています。フィジカルは続けないとダメですね、やっていないとすぐ落ちると感じています。

 SSSの指導者は、自身が動ける年齢の間は見本となれるよう一緒にプレーすることを言われています(良いデモンストレーション。悪いデモンストレーションはダメ)。子どもたちには、自分で体感したり、プレーを見ることでも何か盗んでほしいと思い指導にあたっています。でも、今は指導時に行う中学生との1対1、1本ですぐ息があがってしまいます。これは良い見本ではありませんね。もう少し継続したトレーニングが必要かもしれません・・・。でもYo-Yo-テストはカンベンしてYo!
 

2017/02/02

 

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山瀬 幸宏

セレクション
 みなさま、たいへんお久しぶりです。かなりの期間スタッフ日記が空いてしまいましたが久々に投稿させてもらいます。

 10月1日、自分が受け持っていますジュニアユースの1次セレクションがあり、たいへん多くの方に参加して頂き、ありがとうございます。

 多くの選手が集まったこともあり、それぞれの経験やサッカーにも幅がありましたが、どの選手も真剣そのもののプレーで、“点を取ってやる”“1対1で抜く”“良いプレーでアピールしてやる”というような気迫が近くで見ていて非常に伝わってきました。セレクションでは、どうしてもチームとしての指導適正人数や、SSSからの持ち上がりの兼ね合いで人数を絞らなければならず、お断りしなければならないことがあるので、複雑な心境でもあります。

 その中、セレクションに参加してくれた選手たちの真剣で絶対アピールしてやるという姿が私に大いに刺激を与えてくれ、ふと自分の現役時代の思い出や小中学生の時の同じような体験を振り返る機会となりました。

 セレクション、選抜という形でまずパッと頭に出てきたのが小学6年の全国大会で優秀選手がチームを組み代表として参加したスペイン遠征。公式大会か交流試合だったのかは定かではありませんが、覚えているのは出発前に多分東京あたりで集まった練習会の気まずさです・・・。

 北海道からは私だけだったので知っている人が1人もおらず、エスパルスの選手が多く、グループを作っていて、私は同じく地方から来て知り合いがいないであろう子と仲良くなったのを覚えています。たしか試合もあまり出ていなく(ほとんどエスパルス)、ある記憶といえばベンチでアップ中に「そんなぬるいアップじゃ試合だせない」と言われたこと。

 仲良くなったと子とは、宿泊先のホテルで、部屋に行って夜遅くまで話し込んだり遊んでいたこと。後は観光で、当時は何の建物か知らなかったですが、“なんだこの不思議な作りの建物は?”と思って上ったのが、大人になって知るあのサグラダファミリアだったことなどは良い思い出です(サッカーの記憶は特にないです。笑)。

 後日もらった遠征の記念本には最後のページにブラジル人のサッカー選手らしき人を中心にした全員の集合写真があり、確か自分が高校生かプロに入ってすぐぐらいになんとなく本を見直していると、なんとその選手がロナウドだったと判明!(今の時代の子どもたちが知っているC.ロナウドではなく元祖ロナウド。怪物と称された選手です)。

 その当時は分かっていませんでしたが、あの伝説のロナウド選手と一緒に写真を撮っていたとは! そう言えば、お土産に大量に買ったユニフォーム型のキーホルダーはFC Barcelonaでした。ということはカンプ・ノウのファンショップに行っていたのかな!?そんな記憶もよみがえってきました。もしかしたら、その時に入ったでかいスタジアムがカンプ・ノウだったのかも?(最後にはスタンドまで入って芝を眺めて帰ってきました)。以前の日記にも書きましたが、現役の時にマリノスでバルサと試合をするなど、振り返ると何かとバルサとは縁があったんだなーと感慨深いものもあります。

 ちなみに当時の遠征の参加メンバーを見てみるとその後何名かプロになっており、まだ現役でがんばっている選手もいるようです。現役時代も特にこれといった交流はありませんでしたが、あちらも知っているはずなので、まずはお疲れ様です!(笑)。

 もう1つ思い出すのが中3の時にマリノスユースの練習に参加したことです。これははっきり記憶に残っており、今回のセレクションに参加された皆さんと同じような状況で、“結果だしてやる”“いいプレーしなきゃ”と、とにかくがむしゃらだったのを覚えています。

 当日は高1、高2グループの練習日だったらしく「札幌のチームから来ました・・・」とあいさつをしたところ、「札幌からわざわざ!」とまず言っていたのが田中隼磨選手(現、松本山雅)。隼磨さんも地方出身ということなのか練習参加中いろいろと話しかけてくれたことを覚えています(ありがとうございます)。私はユースの練習に参加することで決めてもらったのですが、高校に入ってからセレクションで入ってきた選手(2人のみ)に聞くと、全部で200人以上は参加していたと言っていました(いったい何次セレクションまであるんだ。恐ろしい・・・)。それを聞くと、練習参加の時点で入団を決めてもらってよかったと今でも思います。

 と、何か自分の昔話しになってしまいましたが、こういう当時の熱い気持ちを思いださせてくれたセレクションに来てくれた選手たちに感謝したいですし、もう1度現役でやりたいなぁという気持ちにさせてもらいました(32歳なのでまだいけるはず!)。

 2次セレクションに来てくれる選手は、自分も同じような場面を何度も経験しているので、「緊張するな!」という方が無理だとは思いますが後悔の残らないよう全力を出してくれればと思います(逆に自分がセレクションの進行であたふたしてしまいそうで、その心配も・・・)。
 

2016/10/14

 

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山瀬 幸宏

通いの思い出・・・
 皆さまお久しぶりです!山瀬です。前回の日記から間があいてしまいましたが、この期間に道外、道内遠征が多く、日記から遠ざかってしまいました・・・(と、言い訳を前置きとしておきます)。

 今回の日記では、昨年から何度か米里グラウンドで試合などがあったので、私の小学生と中学生時代を思い出し、振り返ってみようかなと思います。

 さて、20年ぐらい前のことになるでしょうか。ご存知の方も多いかと思いますが、SSSは当時、米里グラウンドで主に活動していました。

 私が小学4年から6年生ぐらいまでは、真駒内のもっと奥から米里まで通っていたため、私は小学校にかばんを2つ持って通っていました(学校用のかばんと、サッカー用のかばん)。

 これは、家に戻る時間がなく、真駒内駅行きのバス停が学校のすぐ横だったので、直接練習に行く策でした(その地区にはそのバスしかなく、しかも1時間に1本)。バス→真駒内駅→地下鉄菊水駅→バス→米里だったと思います。今考えれば、“遠いー、大変ー”っと感じますが、当時はあまりそんな感じ方はせず、通いが大変というよりサッカーをしているときの楽しさの方がまさっていたんだと思います。

 中学時代は引っ越しもあり、自分の家の近くにチームメートがいたので一緒に自転車で通っていました。豊平川の河川敷沿いを走っていたのですけど、河川敷に入ってからは、平岸あたりから来るグループと合流したり、よく5、6人ぐらいで通っていたのを思い出します。

 今だから言えるのですが、土曜や日曜の練習が早い時間の日だったら帰りに豊平川で遊んだり(決して、悪い遊びではありません!)、たまにですがおかし(特にポテチ)の買い食いしてしまったような遠い記憶も・・・(でも当然、行き帰りの買い食いは禁止です。選手の皆さんはマネしないように!)
 
 また、平日の練習後、米里グラウンドから帰るときの河川敷は結構暗くて自転車を漕いでいると虫が鼻や口に入ったりしたこともありました(自分が口をポカーンとあけていたせいかも)。

 ですが、思い起こすとサッカーもそうですし、みんなで通っていたことなども含めて、中学時代が1番楽しかった時期だと振り返っています。ちなみに前にも日記で書きましたが、高校以降のトレーニングはまず“きついー”がでてきます(フィジカルばっかりですよ!)
 
 そして時は流れ・・・・今はSSSの人工芝ホームグラウンドで練習している子が多いと思います。当時の自分と同じ南区やさらに遠方のご家庭などは大変だとは思いますが、間違いなく良い環境でサッカーできますので、是非プレーしている時間を大切に、そして楽しく、充実した時間を過ごしてほしいと願っています。
 

2016/05/16

 

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