スタッフ日記


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その8・土橋コーチはいろいろスゴイ?』
 前回のスタッフ日記で紹介した社会人チームSSSアンティーゴスの出来事の続きなのですが、そういえばまとめ役の土橋コーチがなぜかチームメイトからいじられてた(良く言えば人気がある?)なぁーっていうのを思い出したのでちょっと書こうかと思います。

 前回も書いたのですが、MF登録の内藤コーチがキーパーを担当したり、人数もたしか11人ちょうどか1人多いぐらいでした(社会人リーグではありがちかもしれません。チームメイト募集中です)。その日はプラスひざのけがをしていた土橋コーチだったと記憶しています。

 まず人数がぎりぎりなのに、土橋コーチがひざのけがで試合に出られないというので、すかさずチームの人から「また大したことないのにそんな大げさにするなよー」、「足もわざと引きずってんでしょ」、「骨折か靭帯が切れてないとけがじゃないから」などなど集まった瞬間からいじられていました。皆さんとても親しそうでしたが、高校や大学などで一緒にプレーしていたのでしょうか?

 試合後の雑談などでは、やはりひざネタと、あと昔のあだ名がすごかったっていうのを覚えています! 私は笑ってもいいネタなのかわからずちょっと離れたとこで聞いていましたが、単純にそんなふうに呼ばれんのスゲー(ぷぷぷ)と思っていました。
 
 この日記を見た子は、直接土橋コーチにあだ名を聞いてみてはどうでしょう? 土橋コーチはサクセスコースを担当していますので、バスの中など聞きやすいのではないでしょうか(もしかしたらはぐらかされるかもしれませんが・・・)。

 ちなみに内藤コーチに続き、土橋コーチのプレイスタイルを“山瀬eye”でSSS競技会的にプレーヤータイプ自動診断させてもらいますと、「サイド際の槍、将棋で言えば香車(縦方向には無限に進める)、もしくは横移動のできない飛車」という感じでしょうか。あと性格は超の付く負けず嫌いのようで、一緒にトレーニングした時もあの手この手を駆使して(ズルをしてでも)対決に勝とうとしてきます。でも結局、一番負けてたような・・・。

 以前事務所でこのような話題になった時に本人も笑っていたので日記に投稿しても大丈夫でしょう(でもメガネの奥の目が笑ってない時も多いような気もします・・・)。
 

2017/02/18

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その7・内藤コーチとアンティーゴス』
 今回は、少し時間が経ってしまった話なのですが、SSSに指導者として戻ってきた2015年の外シーズン、札幌市にある米里グラウンドで試合をする機会がありました。私自身は中学生以来なので15年ぶりぐらいに米里に行ったことになります。

 グラウンドに着くと、入口手前から見えるバスケットゴールや屋外テニスコートなどを見て『いやーなにも変わってないじゃん』と懐かしく思っていました。

 私が中学生の時と同じように、コンクリートの階段みたいな所に荷物おいて土のピッチに入りました。すると『あれ?土がかたいー!』。私としては学校にある走り幅跳びの着地のような砂質の印象しかなかったので、ビックリしました。

 遠目には変わってなかったようですけどグラウンド自体は変化していました。ちなみにあの土、めちゃくめちゃボール扱いにくいですよね!(言い訳?) 試合ではコントロールミスをたくさんしてしまいました。しかもトップスピードでドリブルして、思い切りすっころんで、チームメイトからは「グラウンドにモグラいた?!」、「モグラの掘った穴にはまった?」、「それとも穴から出てきたモグラの頭に引っ掛かったの?」と、ずっと茶化される始末・・・。

 試合の方はというと、SSSには「SSSシェフィールド」という社会人のチームがあり、その上の35歳以上のミドルリーグにも「SSSアンティーゴス」というチームで参加しています。その時はチームのアンダー枠(3人までOKらしいです)で試合に出させてもらいました。オーバーエイジの逆バージョンみたいな感じでしょうか。

 SSSのチームというだけあって、チームメイトのみなさん足元の技術も高く(私よりも転ばず)ベテランのうまいプレーで慣れているようでした。

 その日は、キーパー本職の方が来られなかったので、急遽本来フィールドプレーヤーの内藤コーチが務めることとなり「ふふふ安心して下さい!止めてますよ!!」と自信満々のようでした。実際に試合中は、相手フォワードとの決定的な1対1をセーブするなど助かりました。

 ですが、その自信が過信に変わったのでしょうか。1点リードで試合が進む中、相手のふんわりやさしい山なりの楽々止められるロングシュートを自信満々で見送り、見事に失点! 味方も相手もだますような選球眼?に驚きました(緊張感のあるゲームにするためのいらない演出だったのでしょうか?)

 ちなみに内藤コーチを“山瀬eye”でSSS競技会的にプレーヤータイプ自動診断させてもらいますと「パワーシューター、クラッシャー」などが良く合うのではないでしょうか。

 その日は結局、最後は試合に勝つ事ができ、一安心でした。その後、2015年8月16日にSSSのホームグラウンドで初のミドルリーグ開催。そしてリーグ上位対決(SSSは2位)にホームグラウンドで勝つことができ、逆転首位となる事ができました(ホーム戦で勝つのはリーグで戦う上での基本ですね)。

 SSSを卒業してから約15年。公式試合を伝統の青×黄の縦じまを着て、さらには私の時代には存在しなかったホームグラウンドでプレーするというすばらしい体験をする事ができ、感慨深いものがありました。
 

2017/02/11

 

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山瀬 幸宏

ランニングマン?
 私が担当しているのは主にジュニアユースコースと、サクセスコースと幼稚園、小学校に出向いての指導なのですが、低学年や幼稚園の子が練習の合間などによくランニングマン?しているのを見かけます。私はよく知らないのですが、両腕を斜め上に伸ばしてステップを踏んでいる感じです。EXI○Eのダンスでしょうか?

 さて、指導にあたっているジュニアユースでは、最近タイム走をやるのですが、きつそうに走っている姿が見えます(あたりまえですね)。ですが、「本格的なフィジカルトレーニングはそんなもんじゃなくもっときついんだぞ!」と私が体験した例を交えて紹介したいと思います。

 現役の時にはランニングマンのダンスではないのですが、あるいみランニングしまくっていたランニングマンの時期がありました。プロ時代、監督によって練習後によく20-30分ジョグ(クールダウン)しなさい、というのがありました。「軽くジョグしとくように」という監督もいれば、「絶対するように!」という監督もいました。私なんかの現役時代は適当(!?)な方の選手でしたので、日によってはジョグしないでクラブハウスに戻ることもあり、「ジョグしないやつはその週のゲームはベンチ外だ!」なんてこともありました・・・(反省・・・)。

 ちなみにシーズン前にあった3部練習。ある時には早朝山登り、1000m×8本や10分間走×何本など、ハードなフィジカルトレーニングが必ずありました。

 その中、一番長く所属したマリノス時代では、練習後のジョグをグラウンドから出て、外で走るというのが一時期はやっていました。というのもグラウンドがみなとみらいにあり(マリノスタウンです。今はなくなってしまいましたが)、すぐ横が東京湾で、その湾沿いのランニングコース的なものによく走りにいっていました。

 経路的には、まずグラウンドを出て、東京湾沿いの公園に入りJR桜木町のランドマークタワーや観覧車の横を通って赤レンガ倉庫までというコースです。このコースですと往復で1時間かからないぐらいでした。横浜に行ったことある方はわかると思うのですが、このコースは、さすが観光地!なので、まあ人が多いです。そんな中をユニフォーム(背番号、名前付き)でガンガン走っていました。1人だときついですがみんなグループで行っていました。

 その中、赤レンガ倉庫あたりではミニ四駆大会が開かれていたり、ライブをやっていていたり、ちょうどフェリーが出航するなどいろいろなものを見ることができました(でもとにかく人が多かったなーという記憶が一番です)。
 
 走るコースは、だいたい長くても赤レンガ倉庫ぐらいまで行って帰ってくるグループが多かったのですが、私はよく田中隼磨さん(現所属、松本山雅FC)とランニングに行くことが多く、その先にある「丘の見える公園」という横浜では有名なところまで行っていました。この田中隼磨さんはチーム1の体力の持ち主でJでもトップクラスだと思います。と言うのもシーズン前、だいたいキャンプ前に体力テストでいろいろな項目をマシンなどで数値化するのですが、田中隼磨さんはその中のスタミナ部門のVO2MAXやYo-Yo-テストでずば抜けて1位でした!(Yo-Yo-テスト、簡単に言えばシャトルランの繰り返し、わからない人はネットで調べてみよう!)

 ジャンプ力とかキック速度、キック力、反射神経、6キロ走、あとは目のテスト(視力テストではなくいわゆるスポーツヴィジョンというものです。一瞬数字が映りどこまで覚えているとか、盤の光った所を次々にタッチする)。SSSでも育成年代用のスポーツ競技会(国内・米国で特許取得)というのがあるのですが、それをより本格的にプロ仕様にしたという感じでしょうか。

 VO2MAXというのは顔を機械的なマスクで覆いながら、ジムにあるようなランニングマシンで3分ごとにスピードと傾斜があがっていくテストです。マスクするだけでかなり呼吸しにくくなるのですが、呼吸量や途中で行う採血(ホッチキスみたいなもので指先から血を採取します)で体からでる乳酸量や最大酸素摂取量(1分間や1呼吸あたりにどれぐらい酸素をとりこめているかなど)を見るテストです。

 だいたい開始から20分までは休憩を挟みながらスピードがあがっていくだけなのですが、それ以降は傾斜もあがっていくので20分前後でみんな終了してしまいます(自分もなんとか傾斜が変わるとこまでは頑張っていました)。隼磨さんはそれから傾斜MAXまでいってもなかなか終わらずデータ計測の人からストップがかかって終了していました。そしてデータ計測の人からマラソン選手でもやっていけるというのを一緒にいて聞いたことがあります(マラソン選手は傾斜MAXでもずっと走り続けるそうです)。テストのあのマスクをつける時やスタートの緊張感や、呼吸のしにくさを思い出しただけでも、気持ちがきつくなってきます・・・(ある意味トラウマかも)。

 ちょっと説明が長くなりましたが、1人などでのランニングや、隼磨さん、時には小椋選手(2016年時はガンバ大阪、水戸のガットゥーゾと呼ばれた男)と悪ふざけで、練習場からかなり離れた私の兄のマンションにピンポンダッシュ(よい子はマネをしてはだめですよ)をして帰るなどかなり走り込みをした年でした。

 でもきついトレーニングのおかげでそのシーズンは体が良く動きキレのあるプレーができたと思っています。フィジカルは続けないとダメですね、やっていないとすぐ落ちると感じています。

 SSSの指導者は、自身が動ける年齢の間は見本となれるよう一緒にプレーすることを言われています(良いデモンストレーション。悪いデモンストレーションはダメ)。子どもたちには、自分で体感したり、プレーを見ることでも何か盗んでほしいと思い指導にあたっています。でも、今は指導時に行う中学生との1対1、1本ですぐ息があがってしまいます。これは良い見本ではありませんね。もう少し継続したトレーニングが必要かもしれません・・・。でもYo-Yo-テストはカンベンしてYo!
 

2017/02/02

 

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山瀬 幸宏

セレクション
 みなさま、たいへんお久しぶりです。かなりの期間スタッフ日記が空いてしまいましたが久々に投稿させてもらいます。

 10月1日、自分が受け持っていますジュニアユースの1次セレクションがあり、たいへん多くの方に参加して頂き、ありがとうございます。

 多くの選手が集まったこともあり、それぞれの経験やサッカーにも幅がありましたが、どの選手も真剣そのもののプレーで、“点を取ってやる”“1対1で抜く”“良いプレーでアピールしてやる”というような気迫が近くで見ていて非常に伝わってきました。セレクションでは、どうしてもチームとしての指導適正人数や、SSSからの持ち上がりの兼ね合いで人数を絞らなければならず、お断りしなければならないことがあるので、複雑な心境でもあります。

 その中、セレクションに参加してくれた選手たちの真剣で絶対アピールしてやるという姿が私に大いに刺激を与えてくれ、ふと自分の現役時代の思い出や小中学生の時の同じような体験を振り返る機会となりました。

 セレクション、選抜という形でまずパッと頭に出てきたのが小学6年の全国大会で優秀選手がチームを組み代表として参加したスペイン遠征。公式大会か交流試合だったのかは定かではありませんが、覚えているのは出発前に多分東京あたりで集まった練習会の気まずさです・・・。

 北海道からは私だけだったので知っている人が1人もおらず、エスパルスの選手が多く、グループを作っていて、私は同じく地方から来て知り合いがいないであろう子と仲良くなったのを覚えています。たしか試合もあまり出ていなく(ほとんどエスパルス)、ある記憶といえばベンチでアップ中に「そんなぬるいアップじゃ試合だせない」と言われたこと。

 仲良くなったと子とは、宿泊先のホテルで、部屋に行って夜遅くまで話し込んだり遊んでいたこと。後は観光で、当時は何の建物か知らなかったですが、“なんだこの不思議な作りの建物は?”と思って上ったのが、大人になって知るあのサグラダファミリアだったことなどは良い思い出です(サッカーの記憶は特にないです。笑)。

 後日もらった遠征の記念本には最後のページにブラジル人のサッカー選手らしき人を中心にした全員の集合写真があり、確か自分が高校生かプロに入ってすぐぐらいになんとなく本を見直していると、なんとその選手がロナウドだったと判明!(今の時代の子どもたちが知っているC.ロナウドではなく元祖ロナウド。怪物と称された選手です)。

 その当時は分かっていませんでしたが、あの伝説のロナウド選手と一緒に写真を撮っていたとは! そう言えば、お土産に大量に買ったユニフォーム型のキーホルダーはFC Barcelonaでした。ということはカンプ・ノウのファンショップに行っていたのかな!?そんな記憶もよみがえってきました。もしかしたら、その時に入ったでかいスタジアムがカンプ・ノウだったのかも?(最後にはスタンドまで入って芝を眺めて帰ってきました)。以前の日記にも書きましたが、現役の時にマリノスでバルサと試合をするなど、振り返ると何かとバルサとは縁があったんだなーと感慨深いものもあります。

 ちなみに当時の遠征の参加メンバーを見てみるとその後何名かプロになっており、まだ現役でがんばっている選手もいるようです。現役時代も特にこれといった交流はありませんでしたが、あちらも知っているはずなので、まずはお疲れ様です!(笑)。

 もう1つ思い出すのが中3の時にマリノスユースの練習に参加したことです。これははっきり記憶に残っており、今回のセレクションに参加された皆さんと同じような状況で、“結果だしてやる”“いいプレーしなきゃ”と、とにかくがむしゃらだったのを覚えています。

 当日は高1、高2グループの練習日だったらしく「札幌のチームから来ました・・・」とあいさつをしたところ、「札幌からわざわざ!」とまず言っていたのが田中隼磨選手(現、松本山雅)。隼磨さんも地方出身ということなのか練習参加中いろいろと話しかけてくれたことを覚えています(ありがとうございます)。私はユースの練習に参加することで決めてもらったのですが、高校に入ってからセレクションで入ってきた選手(2人のみ)に聞くと、全部で200人以上は参加していたと言っていました(いったい何次セレクションまであるんだ。恐ろしい・・・)。それを聞くと、練習参加の時点で入団を決めてもらってよかったと今でも思います。

 と、何か自分の昔話しになってしまいましたが、こういう当時の熱い気持ちを思いださせてくれたセレクションに来てくれた選手たちに感謝したいですし、もう1度現役でやりたいなぁという気持ちにさせてもらいました(32歳なのでまだいけるはず!)。

 2次セレクションに来てくれる選手は、自分も同じような場面を何度も経験しているので、「緊張するな!」という方が無理だとは思いますが後悔の残らないよう全力を出してくれればと思います(逆に自分がセレクションの進行であたふたしてしまいそうで、その心配も・・・)。
 

2016/10/14

 

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山瀬 幸宏

通いの思い出・・・
 皆さまお久しぶりです!山瀬です。前回の日記から間があいてしまいましたが、この期間に道外、道内遠征が多く、日記から遠ざかってしまいました・・・(と、言い訳を前置きとしておきます)。

 今回の日記では、昨年から何度か米里グラウンドで試合などがあったので、私の小学生と中学生時代を思い出し、振り返ってみようかなと思います。

 さて、20年ぐらい前のことになるでしょうか。ご存知の方も多いかと思いますが、SSSは当時、米里グラウンドで主に活動していました。

 私が小学4年から6年生ぐらいまでは、真駒内のもっと奥から米里まで通っていたため、私は小学校にかばんを2つ持って通っていました(学校用のかばんと、サッカー用のかばん)。

 これは、家に戻る時間がなく、真駒内駅行きのバス停が学校のすぐ横だったので、直接練習に行く策でした(その地区にはそのバスしかなく、しかも1時間に1本)。バス→真駒内駅→地下鉄菊水駅→バス→米里だったと思います。今考えれば、“遠いー、大変ー”っと感じますが、当時はあまりそんな感じ方はせず、通いが大変というよりサッカーをしているときの楽しさの方がまさっていたんだと思います。

 中学時代は引っ越しもあり、自分の家の近くにチームメートがいたので一緒に自転車で通っていました。豊平川の河川敷沿いを走っていたのですけど、河川敷に入ってからは、平岸あたりから来るグループと合流したり、よく5、6人ぐらいで通っていたのを思い出します。

 今だから言えるのですが、土曜や日曜の練習が早い時間の日だったら帰りに豊平川で遊んだり(決して、悪い遊びではありません!)、たまにですがおかし(特にポテチ)の買い食いしてしまったような遠い記憶も・・・(でも当然、行き帰りの買い食いは禁止です。選手の皆さんはマネしないように!)
 
 また、平日の練習後、米里グラウンドから帰るときの河川敷は結構暗くて自転車を漕いでいると虫が鼻や口に入ったりしたこともありました(自分が口をポカーンとあけていたせいかも)。

 ですが、思い起こすとサッカーもそうですし、みんなで通っていたことなども含めて、中学時代が1番楽しかった時期だと振り返っています。ちなみに前にも日記で書きましたが、高校以降のトレーニングはまず“きついー”がでてきます(フィジカルばっかりですよ!)
 
 そして時は流れ・・・・今はSSSの人工芝ホームグラウンドで練習している子が多いと思います。当時の自分と同じ南区やさらに遠方のご家庭などは大変だとは思いますが、間違いなく良い環境でサッカーできますので、是非プレーしている時間を大切に、そして楽しく、充実した時間を過ごしてほしいと願っています。
 

2016/05/16

 

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山瀬 幸宏

バルセロナ戦の思い出・・・
 こんにちは!山瀬です。今回はお馴染み?となったコーチ紹介ではなく、私が現役時代の思い出深い試合について書こうかと思います(興味の無い方も、しばしの時間お許しを)。

 現役時代を振り返り、自分が出場した試合のほとんどを覚えており(まだ、そんなに昔話でもないので・・・)、中でもやっぱり得点を取った試合や、逆にパフォーマンスが悪く前半途中で交代させられた試合なども、特にはっきりと覚えています。

 また、プロになって初めてのスタメンでの試合やダービー戦などもよく覚えています! 横浜F・マリノスに所属していた時、横浜FCとのダービー戦では初戦のアウェー(アウェーといっても横浜市内なのですけど)では負けており、『今回のホーム戦で負けたら何を言われる事か・・・スタジアムから無事に出られるのか・・・』というような感じでした。なにより7万人くらいの観客の中での試合だったので、雰囲気などもはっきり覚えています。多分私のサッカー人生の中で最も多い観客だったと思います(この試合は無事勝利することができました)。

 あとは、海外チームとの試合も思い出深いです。アジアのチームとの対戦が多かった中、誰もが知るスペインの強豪FCバルセロナとの試合もありました。この時は、Jリーグの中断期間中にヨーロッパのチームがキャンプや親善試合として日本に来ていました。たしかマンチェスターユナイテッド、アーセナル、レアルマドリードなどのビッグクラブも来日していたと思います。

 私がマリノスの時には、ユヴェントスとバルセロナなどと試合をした事がありました。ユヴェントス戦ではベンチ入りもできなかったのですが、バルセロナ戦ではフル出場する事ができました。一言でいうと、やはり“超絶うまかったー”としかいいようがありません!

 2007-2008年ぐらいに所属していたメンバーで、バルサはメッシ、プジョルが不在でしたが、前線には当時最強と言われたアンリ、ロナウジーニョ、エトーの3トップ。中盤はイニエスタ、チャビ、ヤヤ・トゥーレなど豪華メンバーでした。

 バルサにしてみれば、シーズン前のキャンプも兼ねているという事もあり、アンリなどはほとんど動かずゴールキックのターゲットになりヘディングだけしてる感じだったような・・・。

 でも、やっぱりロナウジーニョ、エトー、イニエスタはキレッキレッでした。特にポジション的にイニエスタとマッチアップする事が多かったのですが、確かまともにボール取れたのは1回もなかったと思います。トラップが常に完璧な場所に止まるのはもちろん、トラップする瞬間を狙って厳しくアプローチしても、自分がプレッシャーかけた方と逆にボールをさらりと止める。漫画などでよく出てくる表現だと“後ろに目でもついてるのかー”って感じでした。

 そして試合後、対戦記念誌の選手紹介でイニエスタを見てみると自分と同じ年だったのでびっくりしたのを覚えています。それ以降、Jリーグのプロフィール欄などで、尊敬する選手や好きな選手にイニエスタと書いています!(うーん、ユニホーム交換してもらえばよかった・・・。SSSに飾れたかもですね)。
 
 強いチームやレベルの高い試合などは見ることでも勉強になると思いますが、実際に試合してみることで本当に多くの事が勉強になりました。

 自分が完全に取ったと思ったタイミングでプレッシャーにいっても“パンッパンッ”とワンツーでかわされる。自分の得意な形のドリブルがスピード良く決まっても、抜け切れない。ぎりぎりのところで体を当てられ遅らされるなど、通用する、または通用しない部分などが分かり、その後のサッカー人生においても大いに役に立ちました(こういった部分も子どもたちに伝えていける指導者になれればと)。

 バルサについては親善試合(練習試合)ですら、あのレベルだったのですからシーズン中のプレイはどのくらいになるのでしょうか!? 現役中に公式戦で対決してみたかったですし、将来SSSからそのような選手が出てきてほしいと願っています!

 ちなみにそのバルサとの試合では、後半私がセンターサークルあたりでロナウジーニョに得意のエラシコでデモンストレーションのように見事に抜かれ会場を大いに沸かせるのに一役買いました・・・。試合結果は0-1でドス・サントス(たしかメキシコ代表の10番!?)に決められ負けました。

 当時の試合のデータが残っていましたが、画像で載せられませんでしたので、参考までに文字データでアップしておきます。

◆Yokohama F.Marinos
Enomoto,Tanaka,Kurihara,Matsuda,Komiyama,Marques,Kawai,K.Yamase,Y.Yamase,Oshima,Sakata
Substitution
Nasu,Yoshida,Ueno,Suzuki,Kano,Shimizu
Head coach
Hiroshi Hayano

◆FC Barcelona
Valdes,Zambrotta,Oleguer,Thuram,Sylvinho,Toure,Xavi,Iniesta,Henry,Ronaldinho,Eto’o
Substitution
Jorquera,Dos Santos,Motta,M.Crosas,Ezquerro,Maxi
Head coach
Frank Rikaard

 さて、このメンバー表で何か気づいた方はするどい観察眼をお持ちです。このたった30名程度の中にSSS出身選手が2人も! これってクラブ的にも実はすごいことなのでは!? と思う次第であります。
 

2016/03/06

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その6・番外編。過去の思い出・・・』
 こんにちは!山瀬です。今回は、現在SSSに居るコーチではありませんが、私の思い出とともに番外編として昔お世話になったコーチをご紹介したいと思います(最近、コーチ紹介の持ちネタも少なくなってきて、あせっている次第であります)

 現在、SSSに通われている会員数は約600人(その他のご協力いただいている会員を含めると約750人)とのことで、昔の規模よりかなり大きくなっていて、戻ってきた私も驚きました。当時は、中学生のコースも1つしかありませんでしたし、コーチの人数も5・6人だったと思います(Nさん、Tさん、Wさんなどにもお世話になりました。本人に了承を取っていないので、当時を知っている方に分かるようにイニシャルにしました)

 今回は、SSSのスタッフを経由し、現在Jリーグチームの通訳をしている白沢さんのエピソードをご紹介します。白沢さんは、当時からポルトガル語がペラペラで、私の現役時代はセレッソ大阪で通訳をされていました。

 そして話は遡り・・・私が通っていた当時のSSSの練習は河川敷のグラウンドで、照明も無く(軽トラックの荷台に乗せる簡易照明みたいなやつはありました)、防球ネットも低く、土のグラウンドでした。

 秋ごろからは、すぐに暗くなってボールが見えづらくなってしまうため、先に試合をした後、薄明かりで見えづらい中、基礎練習などでボールを扱っていた記憶もあります。

 その時代、コーチだった白沢さんの事ではっきりと覚えているのが、簡単に言うと「〇〇川に飛び込んだことです!」、それだけ聞くとおかしな人!?みたいに聞こえますが、練習中に川にボールが入ってしまい、果敢に泳いで取りにいったのです!

 流されたボールはちょうど川の真ん中ぐらいでしたし、足をつけて歩いて行ける深さでもなかったはずだと思います。なぜなら私の視野の横から白沢さんがいきなり泳いで登場したので、多分深かったのではないかと・・・。

 でも、とっさに子供のボールのために川に飛び込むとかある意味すごいですけど、今考えるとあぶなかったですよね・・・。良い子の皆さんは決して、決してマネをしてはいけませんよ! 私もマネはしていません。

 そして、時は流れ、私が現役の時に何度もセレッソとは試合をしているのですが、白沢さんには毎回声をかけてもらっていました。基本的に公式戦の試合前は、相手の選手やスタッフと話すのはチームとして禁止なことが多かったので、試合後に少しだけ話していました。試合後のスタッフはすごく忙しいと思うのですが(特に通訳は選手や監督の取材があるので)その中、いつも一声かけていただいていました。

 私がサガン鳥栖の時には、当時は乾選手や香川選手がまだ日本にいてバリバリやっていた時期のセレッソとの試合だったのですが、自分とハーフナー・マイク選手(現在オランダ、SSSに所属していたハーフナー・ニッキ君のお兄さん)が1点ずつ取り2-1で勝ったのは自分のベストゲームトップ5に入るぐらい良い動きができた記憶に残っているゲームです。

 試合後、白沢さんも「ユキ、動きよかったな!」とおっしゃってくださいましたし、子供の頃から成長した姿を見せることができて、サッカー選手として大変嬉しい瞬間でもありました。

 また、白沢さんと岩越校長の話の中で、Jリーグでは選手も含めてSSS関係者とよく会うことや、Jリーグチームにも負けないSSSの育成の成果だともおっしゃっていたようです。振り返ってみると、実際に私もSSSの卒業生や関係者と会うことが多かったと思います(もちろん兄もその一人ですが・・・)。

 ちなみに白沢さんは、今年からセレッソ大阪を離れ、アビスパ福岡で通訳をされると聞いています。その白沢さん、セレッソ大阪では“ガンジー”(インドの偉い人)と呼ばれて親しまれているとマリノス時代のチームメイトの乾選手(現在スペインのエイバル所属)が言っていました。おそらくアビスパでも、その人柄と風貌?を生かして活躍されていると思います。
 

2016/02/03

 

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山瀬 幸宏

ターニングポイント
 SSSの選手の皆さん、保護者の皆様、また私のスタッフ日記をご愛読して下さっている方々(いるのでしょうか??)、ご挨拶が遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 私、山瀬は、新年早々の3日から6日にかけて行われたレギュラーの市川遠征に帯同し、子どもたちと一緒にいろいろと勉強してきたところです。
 
 さて、話は(強引に)変わりますが、《「15歳の選択」僕らはこうしてJリーガーになった。(寺野 典子著)》という書籍を目にする機会がありました。

 と、紹介しておきながら、私はこの本自体をじっくりとは読んではいませんが、この本には元日本代表の宮本恒靖選手の「15歳のとき、挑戦することの意味を知った。」を筆頭にプロで活躍する19人のサッカー選手たちが15歳のターニングポイントに何を考え、どんな決断をしたのかが紹介されています。

 そして本のタイトルを見たとき、私の人生のターニングポイントもまさに15歳の時だったなぁと、自分自身をふと振り返るきっかけにもなりました。

 この本ではありませんが、今回はSSS出身のJリーガーとして15歳の時にどんな決断、考えをしたのか紹介させて頂こうかと思います。

 私は昔、将来の事を深く考えたり、計画しているようなしっかり者では全くなく、中学時代までは、ただサッカーが楽しいから続けているような感じでした。

 チームメート同士も仲良く、練習も楽しく、試合をすればほとんど負けず(コンサドーレとは五分五分だったと思います)、チームの力を示すことや、また自分も活躍できることで、サッカーの楽しさを感じていました。

 その中、中学3年生の途中までは特に明確な目標を持ってという訳ではなく、楽しく好きだからサッカーを続けていたと思います。

 転機といいますか、自分が変わっていったのは高円宮杯の予選中や終わった頃でした。私たちの代は高円宮杯で全国3位の成績を残すことができ、札幌に帰ってきた頃にはチーム内で高校どこ行く?どうする?などの会話をよくしていました。

 私は兄が通っていた札幌市内の私立高校を第一候補で考えていました。チームの何人かも同様で、1つ上の代も非常に強いメンバーがそろっていたため、そのことも要因の一つでした。

 ですが、ある日岩越コーチに「J下部組織のマリノスユースに行って挑戦してみろ」と進路相談中にお話がありました。正直最初は、あまり前向きではありませんでしたが、当時兄がコンサドーレでプロになるなどの影響もあり、少しずつ自分の考えが変わっていったのを覚えています。
 
 私の中では、私立高校の部活で気心のしれた仲間たちと選手権などで活躍した後にプロになる、もしくはマリノスユースというプロになるには絶好の場所でサッカーをするのかで迷っていた時期だったと思います。

 最終的には親にお願いをしてマリノスユースに行かせてもらう決断をしました。宮本恒靖選手の「15歳のとき、挑戦することの意味を知った」ではないですが、“マリノスユースでやる”というのが15歳のときの私の決断でした。

 それはまさに自分の人生の一番のターニングポイントでしたし、1番大きな挑戦でした。まずは、マリノスユースの練習に参加し、自分のプレーで認めてもらうことからのスタートで、最初から入れるという保証はありませんでした。

 当時のマリノスユースはちょうどフリューゲルスと合併し横浜F・マリノスになった時期でした。その2つのチームから選手が絞られることや、3つの支部のジュニアユースからのユース昇格組、さらに一般のセレクションも含めると、約300名程度から絞られたと聞いています。その中私は、なんとか入ることができました。

 当たり前ですが、マリノスユースでは誰1人と知り合いはいなかったですし、実家から離れ今までの仲間からも離れ(当時は携帯電話をほとんどの人が持っていませんでした)、1人で横浜に挑戦しに行こうと腹をくくった時には、高校3年間でプロになって札幌に帰ってくるんだ、そのままトップチームに昇格するんだという強い意志を持つことができました。

 と、私の場合の“15歳の選択”はこのような感じになるのですが、みなさんはみなさんそれぞれの選択があると思いますし、どのような道を選んだとしても自身の目標に近づけるよう、決意を持って頑張って欲しいと思います。

 今回は、子どもたちにとって何らかの参考になればと思い書かせて頂きました。(ちなみに、高校の部活動でもJユースでも、SSSよりきついし厳しいですよ! 特にフィジカルトレーニングが・・・でも挫折せず乗り切れば、強く良い選手になれる可能性が高まります!)
 

2016/01/13

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その5』
 こんにちは!山瀬です。今回は、前回の予告通り、岩越コーチからのお言葉パート2をアップしたいと思います。

 私の記憶に残っている2つ目は、「試合中、他の誰かがやってくれると思ったらだめだ!毎試合自分が決めるぐらいのつもりでプレーしないと!」と、この言葉を高円宮杯全道大会の決勝の前にもらい、実際に“自分が点を決める”という強い覚悟をもって試合に臨むと、ハットトリックをして全国大会行きを決めることができました(できすぎの話ですが、本当のことなので。えっへん)。

 その後のサッカー人生でも“自分が試合を決める(点を取るだけじゃなく決定的なことをするという意味で)”とはっきりと気持ちを持って臨めた試合は、良いパフォーマンスから、結果にもつながっていたと思います。

 それは1試合だけの話ではなくシーズンを通してもそうでした。私は2009年シーズンの途中(夏のマーケット)で、横浜F・マリノスからサガン鳥栖へ移籍したのですが、シーズン途中という事もあって即戦力(助っ人外国人的な立ち位置)として結果に直結する活躍を期待されました。監督からも「低迷するチームを引き上げてくれ!」と直接言われプレッシャーも大きかったです。

 もし、自分がサガン鳥栖に貢献できないと「こいつ何でわざわざビッククラブから来たの?」、「なんでこんな奴、高い金出してとったんだよ」など色々なことを言われるな、といような不安も正直ありました。ですが、そういうものを跳ねのける強い意志で“選手生命をかけるつもりで臨もう”と、良い意味で危機感を持って臨めたシーズンでした。

 結果論になるのですが、この年は自分でも納得のパフォーマンスを出せたシーズンでしたし、チームも昇格争いまで引き上げることができたと思っています。

 メンバー、メンバー外、スタメン、ベンチなどの立場に関わらず、練習や試合に対して、常にポジティブに臨む姿勢や、練習後のケア、自主練、コンディション管理など、この辺りも自分の気持ちの持ちようで変えることができると思います(逆に言うと、気持ちの部分で戦っていないと、良いパフォーマンスも良い結果もでません・・・当たり前ですが)。

 さて、皆さんもまずは気持ちの部分(精神面)を鍛えて、試合に臨んでみましょう! 今までより高いパフォーマンスで、結果もついてくるかもしれませんよ!
 

2015/12/18

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その4』
 こんにちは!山瀬です。今回は前回の続きで岩越コーチとの出来事などをもう少し掘り下げて書いていこうと思います。

 前回のスタッフ日記にも書きましたが、私は小学生、中学生とSSSで1対1の強さ、うまさを身につけることができたと思っており、その後も対人の強さを自分の武器としてサッカーを続けることができました。

 プロ時代でも1対1はかなり自信がありましたし、周りにも認められていたと思います。そして、その力が付いたのも、小さいときからの対人練習の繰り返しの要素が大きかったと振り返っています。
 
 当時、岩越コーチに指導してもらったことの中で、今でも覚えている事が2つあります。まず、ひとつ目は、生活面を含めた精神面のことで、「サッカーの試合で、目立つ良いプレーをする人間が率先して、試合以外の時もしっかりとした見本(チームの規範)となるように行動をしろ! そういう所も周りの人たちはよく見ているんだぞ!」と、いうものです。

 当時は“ふーん”そんなものかな?くらいにしか捉えてなかったと思うのですが、厳しいプロの世界を経験するうちに、プレー以外の人間性の部分も含めて評価されることも大切だと気づくことになりました。

 これは、岩越コーチだけではなく、私がユース、プロと経験してきた中で、どの監督、コーチも、プレーだけではなく人間性の部分を大事にされており、「良い選手ってのは人間性もすばらしいものだ!」と言っていた方もいました。

 実際、自分が所属してきたチームの中でも“すごい”と思った選手では、横浜Fマリノスだと中澤選手や、那須選手(現浦和レッズ)、サガン鳥栖だと1学年下ですが豊田選手など、やはりサッカーがすごいなと思った人は、人間性も含めてすばらしく、全てではないかもしれませんが、つながってくる部分が大きいのだなと感じました。

 2つ目は・・・と、書こうと思いましたが、また長くなってしまいそうなので、次回の日記に回したいと思います。決して、日記のアップ回数を稼ぐためではありません。悪しからず・・・。
 

2015/12/06

 

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