こんにちは!山瀬です。今回は、現在SSSに居るコーチではありませんが、私の思い出とともに番外編として昔お世話になったコーチをご紹介したいと思います(最近、コーチ紹介の持ちネタも少なくなってきて、あせっている次第であります)
現在、SSSに通われている会員数は約600人(その他のご協力いただいている会員を含めると約750人)とのことで、昔の規模よりかなり大きくなっていて、戻ってきた私も驚きました。当時は、中学生のコースも1つしかありませんでしたし、コーチの人数も5・6人だったと思います(Nさん、Tさん、Wさんなどにもお世話になりました。本人に了承を取っていないので、当時を知っている方に分かるようにイニシャルにしました)
今回は、SSSのスタッフを経由し、現在Jリーグチームの通訳をしている白沢さんのエピソードをご紹介します。白沢さんは、当時からポルトガル語がペラペラで、私の現役時代はセレッソ大阪で通訳をされていました。
そして話は遡り・・・私が通っていた当時のSSSの練習は河川敷のグラウンドで、照明も無く(軽トラックの荷台に乗せる簡易照明みたいなやつはありました)、防球ネットも低く、土のグラウンドでした。
秋ごろからは、すぐに暗くなってボールが見えづらくなってしまうため、先に試合をした後、薄明かりで見えづらい中、基礎練習などでボールを扱っていた記憶もあります。
その時代、コーチだった白沢さんの事ではっきりと覚えているのが、簡単に言うと「〇〇川に飛び込んだことです!」、それだけ聞くとおかしな人!?みたいに聞こえますが、練習中に川にボールが入ってしまい、果敢に泳いで取りにいったのです!
流されたボールはちょうど川の真ん中ぐらいでしたし、足をつけて歩いて行ける深さでもなかったはずだと思います。なぜなら私の視野の横から白沢さんがいきなり泳いで登場したので、多分深かったのではないかと・・・。
でも、とっさに子供のボールのために川に飛び込むとかある意味すごいですけど、今考えるとあぶなかったですよね・・・。良い子の皆さんは決して、決してマネをしてはいけませんよ! 私もマネはしていません。
そして、時は流れ、私が現役の時に何度もセレッソとは試合をしているのですが、白沢さんには毎回声をかけてもらっていました。基本的に公式戦の試合前は、相手の選手やスタッフと話すのはチームとして禁止なことが多かったので、試合後に少しだけ話していました。試合後のスタッフはすごく忙しいと思うのですが(特に通訳は選手や監督の取材があるので)その中、いつも一声かけていただいていました。
私がサガン鳥栖の時には、当時は乾選手や香川選手がまだ日本にいてバリバリやっていた時期のセレッソとの試合だったのですが、自分とハーフナー・マイク選手(現在オランダ、SSSに所属していたハーフナー・ニッキ君のお兄さん)が1点ずつ取り2-1で勝ったのは自分のベストゲームトップ5に入るぐらい良い動きができた記憶に残っているゲームです。
試合後、白沢さんも「ユキ、動きよかったな!」とおっしゃってくださいましたし、子供の頃から成長した姿を見せることができて、サッカー選手として大変嬉しい瞬間でもありました。
また、白沢さんと岩越校長の話の中で、Jリーグでは選手も含めてSSS関係者とよく会うことや、Jリーグチームにも負けないSSSの育成の成果だともおっしゃっていたようです。振り返ってみると、実際に私もSSSの卒業生や関係者と会うことが多かったと思います(もちろん兄もその一人ですが・・・)。
ちなみに白沢さんは、今年からセレッソ大阪を離れ、アビスパ福岡で通訳をされると聞いています。その白沢さん、セレッソ大阪では“ガンジー”(インドの偉い人)と呼ばれて親しまれているとマリノス時代のチームメイトの乾選手(現在スペインのエイバル所属)が言っていました。おそらくアビスパでも、その人柄と風貌?を生かして活躍されていると思います。 | |