スタッフ日記


鈴木 政裕

全日本少年サッカー大会を終えて
 12月25日から29日に、鹿児島市で「第39回全日本少年サッカー大会」が行われ、SSSは、北海道代表として参加してきました。今大会からは、長期のリーグ戦を経て、勝ち抜いてきたチームによる全国大会の開催というJFAの理念に基づき、初の冬開催となりました。北海道としては、積雪期間なので、大会に向けた調整が大変難しいところでありましたが、多くの方々のご協力で、最大限の準備をすることができました。ありがとうございました。

 さて、決勝トーナメント進出をめざした1次リーグでは、初戦でセントラルFC(宮崎県代表)と対戦。前半と後半立ち上がりにSSSらしい積極的な攻撃で3点先取。しかし、その後、相手の前線からのハイプレッシャーからSSS選手の足が止まり、ショートカウンターから2失点。結果は3対2で勝利となります。

 次は、FC今治(愛媛県代表)と対戦。相手の俊足FWを中心とした縦に速い攻撃とショートカウンターに苦しめられ、前半だけで3失点。ハーフタイムのミーティングでは、相手のストロングポイントを押さえるための手立てとSSSらしい攻撃の見直しをして、後半スタート。よい判断からの積極的なプレーが数多く見られ、見事に4得点!最後の逆転となる4点目は、アディショナルタイムラスト1秒。劇的な勝利でした。

 引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まる3戦目は、FC ENFINI(岐阜県代表)と対戦。ワイドなポジショニングからのスピードとテクニックのある積極的な仕掛けに翻弄され、3失点。SSSも反撃するものの、1点しか返せず、敗戦。と同時に決勝トーナメント進出を逃してしまいした。

 ですが、3試合を通してSSSらしいアイディアあふれる攻撃をたくさん見ることができました。多彩な仕掛けとパスの判断を楽しむアグレッシブなプレーが随所に見られ、ピッチ内から躍動感を感じることができました。その中、自分たちで声を掛け合って、チームとしてのつながりを感じる守備もあり、成長を感じました。

 今回、冬開催となったことで、3試合共に感じたことが2つあります。1つ目は、フィジカル的に優れた選手がたくさんいるということ。2つ目は、8人制サッカーでフィニッシュにたどり着くまでの型をもっていて、選手たちがそれに自信をもっているということ。SSSとしても、柔軟な判断力を高め、考えるスピードを上げ、自分たちでコミュニケーションを図って対応できるよう、準備をしてきたつもりでしたが、3試合で8失点という結果からもわかるとおり、相手のストロングをまともに受けてしまう形となってしまいました。

 大会の優勝チームは、埼玉県代表のレジスタFC。身体の大きさは、SSSの選手と大きな差は感じませんでした。しかし、3つの違いを感じました。1つ目は、足の運び。相手がどんなに速くて強くて大きくても、粘り強く足を運び、食らいついて、ボールを奪う。それを連続する勤勉な守備。2つ目は、考えるスピード。攻守ともにボールの争点の状況を見極め、次…次…次…と予測し、先に先に動ける判断の速さ。3つ目は、個とチームのメンタルの強さ。どんな状況になっても、チームのために「あきらめない」「我慢する」。仲間を動かしたり、認めたり、叱咤したりする声。自分たちでサッカーをしている(自立し責任をもってプレーしている)空気がピッチ内からひしひしと伝わってきました。自分を表現することができる選手、そして、そういう選手の集団が、タフなゲームでも躍動感のあるサッカーができるのだと再認識できました。この3つは、どんなスタイルのサッカーをめざすにしても、とても重要なことだと感じました。

 自分たちの目標に手が届くまで、あと一歩だった6年生。敗戦後も、その夜のミーティングでも、感じた悔しさと流した涙…ずっと忘れないことでしょう。足の運び、考えるスピード、メンタル…君たちは、悔しさから学び、今後、きっと自分たちの力に変えてくれると信じています。甘えん坊集団だった君たちが、このステージまでたどり着き、あと一歩のところまできました。5年生の時に、コーチが初めて君たちのプレーを見たときには、このステージに立つ君たちを想像することはできませんでした。それだけ大きく成長したということです。

 FC今治戦の後半、あれが君たちのもっている力です。終了のホイッスルが鳴るまで、自分を信じ、仲間を信じ、考えて走り続けていました。次々とボールを要求し、SSSらしい積極的な攻撃。ハーフウェーラインを越えさせないほど、声をかけあい連動した守備。ベンチにいる選手も必死に送る仲間への声。躍動する君たちに感動しました。なぜ、そんな試合ができたか…しっかりとした根拠がある。オン・ザ・ピッチもオフ・ザ・ピッチも、自分たちでよりよくなるよう、本気で取り組んできた。嫌なことも面倒くさいことも、本気で…。だから輝ける瞬間があったのです。すばらしい試合を魅せてもらった…ありがとう!

 でも…全国でわかったことがあるよね、我々よりもっと本気で積み上げてきていた選手たちがいたということ。1年後、3年後…追い越せるように…。感じた悔しさ、見つけた課題、大切にしてほしい。自分と仲間を大切にしてほしい。夢や目標を大切にしてほしい。前を向いて、なりたい自分に近づいていってほしい。悔しさと夢に向かう期待は、その歩みを力強くするエネルギー。これからの君たちに、ますます期待しています。

 最後になりましたが、今大会では、遠く鹿児島まで、多くの方々に足を運んでいただき、また、札幌からもたくさんの応援をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです!みなさんのあたたかい声援にささえられ、最後まで頑張ることができました。本当にありがとうございました!
 

2016/01/26

 

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山瀬 幸宏

ターニングポイント
 SSSの選手の皆さん、保護者の皆様、また私のスタッフ日記をご愛読して下さっている方々(いるのでしょうか??)、ご挨拶が遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 私、山瀬は、新年早々の3日から6日にかけて行われたレギュラーの市川遠征に帯同し、子どもたちと一緒にいろいろと勉強してきたところです。
 
 さて、話は(強引に)変わりますが、《「15歳の選択」僕らはこうしてJリーガーになった。(寺野 典子著)》という書籍を目にする機会がありました。

 と、紹介しておきながら、私はこの本自体をじっくりとは読んではいませんが、この本には元日本代表の宮本恒靖選手の「15歳のとき、挑戦することの意味を知った。」を筆頭にプロで活躍する19人のサッカー選手たちが15歳のターニングポイントに何を考え、どんな決断をしたのかが紹介されています。

 そして本のタイトルを見たとき、私の人生のターニングポイントもまさに15歳の時だったなぁと、自分自身をふと振り返るきっかけにもなりました。

 この本ではありませんが、今回はSSS出身のJリーガーとして15歳の時にどんな決断、考えをしたのか紹介させて頂こうかと思います。

 私は昔、将来の事を深く考えたり、計画しているようなしっかり者では全くなく、中学時代までは、ただサッカーが楽しいから続けているような感じでした。

 チームメート同士も仲良く、練習も楽しく、試合をすればほとんど負けず(コンサドーレとは五分五分だったと思います)、チームの力を示すことや、また自分も活躍できることで、サッカーの楽しさを感じていました。

 その中、中学3年生の途中までは特に明確な目標を持ってという訳ではなく、楽しく好きだからサッカーを続けていたと思います。

 転機といいますか、自分が変わっていったのは高円宮杯の予選中や終わった頃でした。私たちの代は高円宮杯で全国3位の成績を残すことができ、札幌に帰ってきた頃にはチーム内で高校どこ行く?どうする?などの会話をよくしていました。

 私は兄が通っていた札幌市内の私立高校を第一候補で考えていました。チームの何人かも同様で、1つ上の代も非常に強いメンバーがそろっていたため、そのことも要因の一つでした。

 ですが、ある日岩越コーチに「J下部組織のマリノスユースに行って挑戦してみろ」と進路相談中にお話がありました。正直最初は、あまり前向きではありませんでしたが、当時兄がコンサドーレでプロになるなどの影響もあり、少しずつ自分の考えが変わっていったのを覚えています。
 
 私の中では、私立高校の部活で気心のしれた仲間たちと選手権などで活躍した後にプロになる、もしくはマリノスユースというプロになるには絶好の場所でサッカーをするのかで迷っていた時期だったと思います。

 最終的には親にお願いをしてマリノスユースに行かせてもらう決断をしました。宮本恒靖選手の「15歳のとき、挑戦することの意味を知った」ではないですが、“マリノスユースでやる”というのが15歳のときの私の決断でした。

 それはまさに自分の人生の一番のターニングポイントでしたし、1番大きな挑戦でした。まずは、マリノスユースの練習に参加し、自分のプレーで認めてもらうことからのスタートで、最初から入れるという保証はありませんでした。

 当時のマリノスユースはちょうどフリューゲルスと合併し横浜F・マリノスになった時期でした。その2つのチームから選手が絞られることや、3つの支部のジュニアユースからのユース昇格組、さらに一般のセレクションも含めると、約300名程度から絞られたと聞いています。その中私は、なんとか入ることができました。

 当たり前ですが、マリノスユースでは誰1人と知り合いはいなかったですし、実家から離れ今までの仲間からも離れ(当時は携帯電話をほとんどの人が持っていませんでした)、1人で横浜に挑戦しに行こうと腹をくくった時には、高校3年間でプロになって札幌に帰ってくるんだ、そのままトップチームに昇格するんだという強い意志を持つことができました。

 と、私の場合の“15歳の選択”はこのような感じになるのですが、みなさんはみなさんそれぞれの選択があると思いますし、どのような道を選んだとしても自身の目標に近づけるよう、決意を持って頑張って欲しいと思います。

 今回は、子どもたちにとって何らかの参考になればと思い書かせて頂きました。(ちなみに、高校の部活動でもJユースでも、SSSよりきついし厳しいですよ! 特にフィジカルトレーニングが・・・でも挫折せず乗り切れば、強く良い選手になれる可能性が高まります!)
 

2016/01/13

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その5』
 こんにちは!山瀬です。今回は、前回の予告通り、岩越コーチからのお言葉パート2をアップしたいと思います。

 私の記憶に残っている2つ目は、「試合中、他の誰かがやってくれると思ったらだめだ!毎試合自分が決めるぐらいのつもりでプレーしないと!」と、この言葉を高円宮杯全道大会の決勝の前にもらい、実際に“自分が点を決める”という強い覚悟をもって試合に臨むと、ハットトリックをして全国大会行きを決めることができました(できすぎの話ですが、本当のことなので。えっへん)。

 その後のサッカー人生でも“自分が試合を決める(点を取るだけじゃなく決定的なことをするという意味で)”とはっきりと気持ちを持って臨めた試合は、良いパフォーマンスから、結果にもつながっていたと思います。

 それは1試合だけの話ではなくシーズンを通してもそうでした。私は2009年シーズンの途中(夏のマーケット)で、横浜F・マリノスからサガン鳥栖へ移籍したのですが、シーズン途中という事もあって即戦力(助っ人外国人的な立ち位置)として結果に直結する活躍を期待されました。監督からも「低迷するチームを引き上げてくれ!」と直接言われプレッシャーも大きかったです。

 もし、自分がサガン鳥栖に貢献できないと「こいつ何でわざわざビッククラブから来たの?」、「なんでこんな奴、高い金出してとったんだよ」など色々なことを言われるな、といような不安も正直ありました。ですが、そういうものを跳ねのける強い意志で“選手生命をかけるつもりで臨もう”と、良い意味で危機感を持って臨めたシーズンでした。

 結果論になるのですが、この年は自分でも納得のパフォーマンスを出せたシーズンでしたし、チームも昇格争いまで引き上げることができたと思っています。

 メンバー、メンバー外、スタメン、ベンチなどの立場に関わらず、練習や試合に対して、常にポジティブに臨む姿勢や、練習後のケア、自主練、コンディション管理など、この辺りも自分の気持ちの持ちようで変えることができると思います(逆に言うと、気持ちの部分で戦っていないと、良いパフォーマンスも良い結果もでません・・・当たり前ですが)。

 さて、皆さんもまずは気持ちの部分(精神面)を鍛えて、試合に臨んでみましょう! 今までより高いパフォーマンスで、結果もついてくるかもしれませんよ!
 

2015/12/18

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その4』
 こんにちは!山瀬です。今回は前回の続きで岩越コーチとの出来事などをもう少し掘り下げて書いていこうと思います。

 前回のスタッフ日記にも書きましたが、私は小学生、中学生とSSSで1対1の強さ、うまさを身につけることができたと思っており、その後も対人の強さを自分の武器としてサッカーを続けることができました。

 プロ時代でも1対1はかなり自信がありましたし、周りにも認められていたと思います。そして、その力が付いたのも、小さいときからの対人練習の繰り返しの要素が大きかったと振り返っています。
 
 当時、岩越コーチに指導してもらったことの中で、今でも覚えている事が2つあります。まず、ひとつ目は、生活面を含めた精神面のことで、「サッカーの試合で、目立つ良いプレーをする人間が率先して、試合以外の時もしっかりとした見本(チームの規範)となるように行動をしろ! そういう所も周りの人たちはよく見ているんだぞ!」と、いうものです。

 当時は“ふーん”そんなものかな?くらいにしか捉えてなかったと思うのですが、厳しいプロの世界を経験するうちに、プレー以外の人間性の部分も含めて評価されることも大切だと気づくことになりました。

 これは、岩越コーチだけではなく、私がユース、プロと経験してきた中で、どの監督、コーチも、プレーだけではなく人間性の部分を大事にされており、「良い選手ってのは人間性もすばらしいものだ!」と言っていた方もいました。

 実際、自分が所属してきたチームの中でも“すごい”と思った選手では、横浜Fマリノスだと中澤選手や、那須選手(現浦和レッズ)、サガン鳥栖だと1学年下ですが豊田選手など、やはりサッカーがすごいなと思った人は、人間性も含めてすばらしく、全てではないかもしれませんが、つながってくる部分が大きいのだなと感じました。

 2つ目は・・・と、書こうと思いましたが、また長くなってしまいそうなので、次回の日記に回したいと思います。決して、日記のアップ回数を稼ぐためではありません。悪しからず・・・。
 

2015/12/06

 

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田古嶋 愛子

悲喜こもごも・・・チャンピオンシップ
 今年からJ1リーグが1st、2ndと各ステージに分かれたリーグ戦となり、さらに年間王者を決めるチャンピオンシップが行われていますね。11年ぶりとなるチャンピオンシップ形式ですが、まだまだ賛否両論あるようですね(みなさんはどのように感じていますでしょうか?)。

 そして、先日のチャンピオンシップ準決勝、1st優勝で年間勝ち点2位の浦和レッズと年間勝ち点3位のガンバ大阪の試合は、トーナメント戦ならではの一発勝負の面白さが凝縮されたような戦いだったと思います。

 90分では決着がつかず延長戦に入ったので、シーズンとは違う疲労と緊張感からでしょうか、普段は絶対にしないようなシュート性のバックパスで「終わったな・・・喝!」という大ピンチからのガンバ大阪の決勝ゴールはまさに「あっぱれ!!」でしたよね。

 迎えた年間王者決定の決勝戦、2nd優勝で年間勝ち点1位のサンフレッチェ広島対ガンバ大阪の第1戦目は地上波のゴールデンと言われる時間帯でした。

 私は業務の都合上、録画観戦だったのですが、テレビではずーっとこの1試合で王者が決まるような話しぶりでしたので、『たしか決勝はホーム&アウエーだったよね・・・?』と、白熱した展開のさなか録画で見ていることをすっかり忘れ、ハーフタイム中に調べてみようと気軽にJリーグ公式サイトにアクセスすると、既にライブでは結果が出ており、観戦途中に結果を知ってしまう大失態でした。。。
 
 ですが・・・結果を知っていても、あのハラハラ・ドキドキ感はとても楽しめましたので、もしかすると初めてテレビで見ていた方々にもサッカーの面白さが伝わったのでは、と淡い期待をしています(その為にもしっかりとレギュレーションを含めて伝えてもらった方がよかったのではと思いますが・・・)。

 サンフレッチェのホームとなる第2戦では、王手をかけたサンフレッチェにガンバがどのように挑んでいくのか楽しみです!!
 

2015/12/05

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その3』
 こんにちは!山瀬です。昔のコーチの様子や練習での出来事などをなるべく多く紹介できるよう、鈍ってきた?頭をフル回転させ自分の記憶をたどっているところです。

 私はSSSで多くのコーチに指導してもらいましたが、中でも1番長く指導してもらったのは岩越コーチだと思います。今回と次回の日記では当時の岩越コーチの指導や練習のことなど、自分の記憶の範囲内ですが紹介できればと思います。

 当時の練習では、まずみんなでブラジル体操をしてから練習に入っていました。それから基礎練習をして、対人の1対1や2対2という流れが多かったような気がします。特に岩越コーチは対人練習が多かったと思います。

 もちろん他の練習もありましたが、やはり私は対人練習の記憶がとても強く残っています。1対1などはやっていても楽しく、そして実際のプレーの中でも、とても重要な部分です(私のサッカー選手としての経験の中でも、1対1の強さとその重要性を強く感じました)。

 当時、自分の代と1つ上のチームは、対人が強い選手が集まっていた印象があり、中でもFW、MF、DFの中心ラインに1人ずつは道内トップレベルの選手が居たと思います。

 私の代の場合はDFの矢野君(SSSホームページにも載っていますが、高卒で柏レイソル入団)と、よく対人練習をしていました。私も1対1には自信を持っていましたが、矢野君も本当に強く、高いレベルで練習を繰り返したことがお互いのためになったんだと思います。

 実際に当時の試合では矢野君ぐらい守備が“つよっ(強い)、おもっ(重い)”と思う選手はいなかったと思います。普段の練習から高いレベルで行うことで実際の試合の相手が軽く感じました。そういう意味では同期にプロレベルのDF(というかプロになったのですが)がいてラッキーでしたし、そのおかげで対人の強さを手に入れることができたと振り返っています。

 ですが、プロの世界に入り、対人にはかなり自信のあった私なのですが入団したチームで上には上がいるというか、“あの人は絶対抜けない”くらいのレベルの選手が何人も出てきました。

 さて、みなさんはチーム内にお互いに高いレベルで高めあって、ガチンコの真剣勝負をできる相手がいるでしょうか?

 試合で1対1の局面でほぼ抜ける、またはほぼ抜かれないくらいの一つ飛びぬけた能力の高さをつける、そのくらいの意識で取り組んで欲しいです。(全国レベルは当たり前で、世界レベルを意識してプレーできるぐらいの選手が育ってほしいものです!)。

 このように高い意識を持って1対1などの対人練習を繰り返すことで強い選手が生まれてくると思います。これが、SSSの選手育成の良い伝統でもあり、ストロングポイントとして挙げられることだと思います。

 ちなみに今練習を見ているジュニアユース1年生たちも1対1などでは、楽しそうに積極的に取り組んでおり、伝統は継承されているようです(本当は基礎のパスやリフティングも対人練習ぐらい積極的に取り組んでほしいものです・・・)。
 

2015/11/28

 

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岩越 英治

「高円宮杯全国へ向けて」
 全道大会を振り返り、初戦のDOHTOジュニア、次戦のスプレッド・イーグル函館FCがポイントでした。特にスプレッド戦は、すぐに先制した後、押し込む時間が長くなってもゴール前の質があがらず追加点が取れませんでした。そして相手の少ないチャンスを守りきれず失点。しかし、最後まであきらめず、ロスタイムで同点に追いつけたことは評価に値すると思います。

 決勝のコンサドーレ戦は全国を見据えた試合となりました。その中、1週間重点的にトレーニングしてきた積極的守備からのシンプルな攻撃も発揮できましたし、両チームともにゴール前の攻防などは見応えのあるものでした。今年の成長の跡が見える一番良い試合だったかもしれません。

 大会を通しての課題は、前線の選手が孤立してしまうことが多いので、チームでボールを動かしながら“個”を出していく事を積極的にしてほしいです。特に気持ちの上でも“逃げないプレー”を選択していかないと、個の良さや強さは出てこない! これは、プレー面でもそうですが、日頃の生活の面でも各々が自覚を持って“自立”をしていかなければ、磨かれない部分でもあります。

 全国へ向けては、チーム全体のより一層の強化はもちろん、メンタル面の成長も不可欠。試合によっては、メンタル面のコントロールができず、ベンチやまわりの声も聞こえていないような状況もありました。今後は、良い緊張感を持ちながらも冷静でいられるようなメンタルを鍛えなければなりません。

 メンタル面を含めた個の部分が更に成長出来れば、今年はかなり良い試合になると期待していますし、北海道を代表して戦うという意地も見せたいと思っています!

 最後になってしまいましたが、関係各位からの多くのご声援、サポートに感謝しております。
 

2015/11/17

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その2』
 こんにちは! そろそろお馴染み?となりました山瀬です。前回、得光コーチをご紹介しまして、今のところご本人から反応がないので、勝手に『その2』に入りたいと思います。

 これは、最近気づいたことなのですが、得光コーチは、かなりなガンダム好きだと知りました(俗にいうファースト世代)。で、実は私もガンダム好きなのですが、これはもしかして、得光コーチから脈々と受け継がれてきたものなのではないかと思い始めました・・・。

 なぜなら、私が幼少時によく兄弟でSSS事務所におじゃましており、得光コーチ→兄→私というような構図が想像できます。

 ちなみに、最近、得光コーチに確認したところ、私の記憶にあったテレビゲームのソフトが「ああ、昔事務所にあったよ」との事だったので、この系統は間違いないな、と自信が確信に変わりました。

 ただし、最後に得光コーチからは「今はゲームをしてる暇なんてないからな!」と、釘を刺されましたが。

 今回は日頃の仕事と関係の無い話のようでしたが、別のコーチからは「へー、ガンダム好きなんだ? お前、1UPしたな。他の会社(クラブ)では、なんの役にも立たないけど・・・。」と、初めてお褒め?の言葉を頂きました。
 

2015/11/12

 

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山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その1』
 こんにちは山瀬です! 今回は予告しておりましたSSSのコーチ紹介を私が知っている昔の様子を交えてご紹介したいと思います。

 まず1人目は、幼少時に事務所でよく遊んでもらっていた柴田得光(とくみつ)コーチです!

 当時の幼い時の記憶なのですが、ほんとによく笑っていて、いつも笑顔だったなぁという気がします(と、言うか今でも笑い続けているような!?)。

 引退後、SSS事務所に挨拶に来た時に、約15何年ぶりぐらいにお会いした事になりましたが、合った瞬間すぐ得光さんだとわかりました。

―――『得光さん!昔からまったく変化してないー!?』

 もちろん現在もお世話になっているので言いにくいのですが、当時とあまりにも変わらないフォルムなので、若いと言うよりもはや年齢不詳です。

 最近は指導の現場で一緒の事もあるのですが、いつもニコニコと笑顔で子供たちと接しているのを見かけました。子供たちもとても楽しそうにしているのを見て、昔、私もこうやって教えてもらっていたのかなーと、なつかしく思いました。
 
 ここからは、少し真面目な話になりますが、幼稚園や小学生低学年の指導現場は、思ったよりも大変でとても難しかったです。特に小さい子どもたちは、3人ぐらい同時に話しかけてきたりすることもあります。

 また、子どもたちが元気すぎて、まだ急に自分の体をSTOPできなく、ぶつかったりしてしまい、痛がる子もいます。

 その時、大丈夫だろうなーと思いつつも私は「痛み引くまでちょっと休んでようか?」という感じで対応したのですが、得光コーチは、大丈夫そうな子には「○○くん、痛いの? もうサッカーできない? じゃあ救急車よぼうかなー?」などと冗談のように言うと子供は「できるー!!」と言って試合に戻っていきます。このような対応は、さすがベテランのコーチだなぁと、勉強になりました。

 と、最後はちょっと『深イイ話?』で、終わりたいと思います(まだ話はあるのですが長くなりましたので、次の機会にしたいと思います)。
 

2015/10/30

 

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山瀬 幸宏

幼少時のSSSの思い出・・・
 こんにちは! 最近連続日記アップ中の山瀬です(この調子で今季の日記最多登板記録を密かに狙っています・・・)。

 ところで、前回までの文章を自分自身で振り帰って読んでみると、子どもたちにとっては堅苦しい事を書いているかなー? という気がしてきましたので、今回は気軽にSSSの思い出話などをご紹介したいと思います。

 さてさて、時代はさかのぼりまして、当時私が通っていたころのSSSは、今の規模ほどクラブも大きくはなく、コーチたちの人数も少なくてもっと近い存在(お兄さん的な存在?)だったように思います。

 その中、私はよく兄弟やチームメイトと現在の事務所に気軽に行って、何かしら遊んでもらっていた記憶があります(ちなみに今の事務所は遊び要素0です)。

 そして、特に遊んでもらっていたのが、当時と変わらない得光コーチです!(詳しくは、次に書く予定のコーチ紹介でと思っています)

 どのような遊びをしていたかというと、ファミコン、スーパーファミコン、トランプ、人生ゲーム、ジェンガなど種類が豊富で、小学校低学年だった私は、とにかく遊びが楽しい時間だったと記憶しています。

 なので、得光コーチや、後に紹介する予定のYさん(匿名希望らしいです)などは、コーチというより遊んでくれる近所のお兄ちゃん的な感じに思っていました。しかも、ファミコンの裏ワザとか見せつけられて、「この人スゲー、高橋名人かっ!」と子どもながらに驚き、嬉しかったことを覚えています。

 その流れなのか、今でもあけぼのSSS教室で、子どもたちの遊びの場が提供されているというのはすごいと思います。やっぱりサッカーはもちろんですが、子ども時代には仲間と思いっきり遊んだりすることも大事だと思います(言うまでもありませんが勉強も大事ですよ!!)。

 では、次回は『山瀬的コーチ紹介その1』として、当時のコーチのことなども振り返ってご紹介したいと思っています(反響によっては2人目のコーチ紹介につなげたいと画策しています)。
 

2015/10/23

 

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