スタッフ日記


鈴木 政裕

「全道フットサル選手権大会2016 U-12」を終えて
 2月20日(土)・21日(日)に帯広市総合体育館で行われた全道フットサル選手権大会に、札幌ブロック代表として、参加してきました。札幌の予選が行われたのが、12月中旬で、予選突破後は、昨年末の全日本少年サッカー大会もあり、フットサルに取り組むゆとりのないまま迎えた全道大会でした。

 ですが、全日本少年サッカー大会で見つけた課題を意識してトレーニングに励むことは、フットサルにおいても、十分効果的であったと感じています。1、足の運び 2、考えるスピード 3、メンタル。3つの課題に取り組むことは、フットサルの全道大会に向けての準備としても、十分なものでした。
 
 1次ラウンド。宗谷地区の枝幸ジュニアサッカークラブと対戦。初戦の緊張からか、動きが壊れたロボットのようにギクシャク…。ピッチ内での躍動感は感じられず、相手のしっかりとしたブロックを作った守備を崩せず、コーナーキックから失点し、0-1で敗戦スタート。いいイメージをもってピッチに立つことや、ミスの後に自分たちで会話をして修正することなどができず…つまり、たくましいメンタルをもてず、残念なゲームでした。失点場面も、マークの確認はしていたものの、考えるスピードをあげて、相手のプレーの予測をすることが遅れ、足を運ぶこともできず、簡単に失点しました。課題を意識してトレーニングしてきたつもりでしたが、メンタルコンディションがしっかりとできていないと、普段できることもできなくなってしまう…という典型的なゲームでした。
 
 1次ラウンド2戦目は、緑陽台サッカー少年団(帯広市)と対戦。1戦目の課題…つまり、昨年末から見つけた課題をもう一度見直して、ゲームに入り、6-0で勝利。攻撃ではゴール前での落ち着きや、ゴールを奪うまで、足を運び続ける攻撃の連続性が見られました。守備では、ボールの争点を見極め、相手や味方の状況によって、ポジショニングを変えて、積極的にボールを奪う勤勉性が見られました。これにより、得失点差で1次ラウンド1位となり、決勝トーナメント進出。

 決勝トーナメント1回戦は、同じ札幌代表のLIV FC U-12と対戦。いいプレーのイメージをもってピッチに立てた選手たちは、立ち上がりから、攻守ともに躍動感を見せてくれました。選手たちの会話も活発で、ゲームの主導権を握り、リードして前半を終了。しかし、後半は、相手に主導権を握られました。GKを経由したボールの配球に、対応が後手後手を踏み、守備のほころびが何度も見えました。相手のストロングポイントを感じたときに、どう対応するかに注目していましたが、会話はするものの、うまく改善できずに4-3で辛勝。改善しきれなかったものの、自分たちで、何とか問題を解決しようとしていた姿を見ることができました。
 
 2回戦も札幌代表のAGGRE FCと対戦。相手は、前線からどんどんプレッシャーをかけて守備をしてくるので、選手たちがどんなプレーを魅せてくれるのか楽しみでした。前半は、考えるスピードをあげて、早い判断でボールを動かし主導権を握りますが、ゴールは奪えず。さらにはフリーキックから失点し、いやな流れに…。しかしハーフタイムで、相手のゴールネットを揺らすまで、かかわり続けることを確認し、後半スタート。ミーティングで伝え合ったことに、意欲的にチャレンジし、3-1と逆転で勝利することができました。
 
 準決勝は、室蘭大沢FCと対戦。前評判で、かなり個の能力が高いこともわかっており、SSSを倒すことに対する並々ならぬ雰囲気を感じました。技術、フィジカルともに優れた選手に対する個の守備の判断と足の運びがどれくらいできるかと思っていました…が、あっという間に3失点。これで、気持ちが折れてしまうかと、少し心配しましたが、君たちのメンタルはすばらしかった!「1対1負けるな!ついていけ!」と自分たちで声を掛け合って気持ちを鼓舞し、守備の改善を図るとともに、速攻と遅攻を使い分け、1本の縦パスに対しても連続してかかわり、攻撃も改善。一気の5得点を奪うと、5-3と逆転勝利!チームの成長を強く感じたゲームでした。

 決勝は、旭川末広サッカー少年団と対戦。フィジカルに優れた選手がいて、ミドルレンジからのシュートが脅威でした。SSSはキックオフ直後に得点し、幸先よくスタートしますが、相手のストロングポイントに、まともにはまり、連続失点。スドンズドンとミドルシュートを決められました。リードされていたハーフタイムでは、相手のパスに対し、カバーのポジションから、ファーストディフェンスをする際、アプローチのスピードや角度を意識して、対応しないと厳しい状況だと確認。攻撃は、自分たちがプレーしやすい距離ですすめること、そして、最後まで足を運ぶこと。君たちが会話している内容は、コーチが伝えたいこととほとんど同じでしたよ(今大会全試合を通して!)。そして、後半スタート。話し合ったことにどんどんチャレンジし、攻守ともに躍動感あふれるプレーを発揮し、6-4とまたも逆転で見事優勝。おめでとう!

 大会を振り返り、リードされても慌てず、気持ちは熱く、頭は冷静に、自分たちでチームのスイッチを入れられるようになった君たちを見て、「たくましくなったなぁ…」と、最高にうれしくなった。甘えん坊集団だった君たちが、こんなにタフになるなんて…。自立したたくましいチームを誇りに思うと同時に、小学校年代の最後の大会を優勝で締めくくれた君たちの力に、感動しました。

 また、遠征出発前日のトレーニング後に、大会に帯同しないメンバーが、「みんなで円陣組もうぜ!」の声で、できあがった1つの輪。ピッチに立つメンバーだけでなく、ともに頑張ってきたすべての仲間で、1つのチームという意識。そして、大会中は、学級閉鎖で遠征に帯同できなかった仲間や、大会にエントリーされなかった仲間のことをいつも試合前に語り合う君たちの姿。さらに、ベンチ入りしている「5年生に何を残し、何を伝えるか」を考える君たちも、自立して見えたし、それが、当たり前であるという雰囲気が、かっこよかった。

 その中、出場チャンスをつかんだ5年生が、得点できずにベンチに戻ってきて号泣していた理由…コーチにはなんとなくわかったよ。何度も6年生からのナイスパスを受けて、ゴールできず、悔しかったんだね。6年生からのパスは、単なるパスじゃなくて、5年生は、それ以上の何かをきっと感じ取ったのでしょう…。それをゴールという形で応えられなかった自分が悔しかったんだね。でも、気持ちは届いたはずだから、そのゴールはきっと新年度の大会で発揮されることでしょう。

 今回、君たちの成長を感じられて、コーチにとっても、忘れられない大会となったよ。ありがとう!どんなにリードされても、コーチは君たちがどういうプレーで対処するか本当に楽しみでした。強い意識があったから、今の君たちの成長があるんだから、これからもサッカーも普段の生活もがんばってほしい!そして、これからの君たちの活躍を想像すると、わくわくするよ!君たちのさらなる成長を大いに期待しています!

 最後になりましたが、今大会にかかわって、悪天候の中、帯広まで駆け付けてくれた皆様をはじめ、たくさんの心温まる応援をいただきました。本当にありがとうございました!
 

2016/03/06

 

▲ページ上へ

 


田古嶋 愛子

プレミアリーグ、レスター快進撃!
 最近、プレミアリーグで日本代表の岡崎選手が所属しているレスター戦をテレビ放映でを見ることが多く、毎回楽しみにしています(観戦している試合が面白いと深夜のおやつも進んでしまい、面白くない場合もストレスで食べてしまう・・・どうしましょう)。

 開幕当初は戦力的に(お金の使い方でも)ビッグクラブとの試合に勝利するのはきびしそう・・・と思っていましたが、現在はオドロキ(失礼?)の首位。多分、開幕前は有識者の方でも予想できていなかったのではないでしょうか。

 プレミアリーグのビッグクラブはCLかEL、そして国内のFAカップ、リーグカップなどすべて取りに行く姿勢で臨んでいるところ、レスターは国内のカップ戦2つで負けてしまったので、クラブ史上初のプレミアリーグ優勝に向けて戦力を集中し、全力を尽くすことができるのでしょうね。

 第24節のリバプール戦ではバーディー選手のスーパーミドルシュートのゴールがニュースになりましたが、全選手の動きも連係も良く・・・開幕当初よりレスターの試合運びが洗練されてきているようにも感じました(首位を走る自信もあるのでしょうか。リバプールの方はケガ人も多くメンバーを決めるのが大変なようでしたが)。

 レスターは次節、2月5日時点でリーグ2位のマンチェスターシティ戦、次々節は4位のアーセナル戦があります。上位に残るため、そして現実味を帯びてきた優勝に向けて最大の山場だと思いますが、レスターらしく全員攻撃・全員守備で乗り切ってほしいですね。

 もちろん、日本サッカーのためにも岡崎選手にはプレミアリーグ優勝という偉業を成し遂げてほしいなーと思います。岡崎選手ガンバレー!(個人的に必見の選手は中盤でボールを拾いまくり好守に抜群の仕事を見せているカンテ選手です)。
 

2016/02/09

 

▲ページ上へ

 


田古嶋 愛子

祝!AFC U-23アジア選手権優勝!
 オリンピックU-23代表が、素晴らしい勝負強さでアジア大会優勝とリオ・オリンピック出場を見事決めてくれましたー! おめでとうございます!

 いきなり0-2でリードされた時には、正直きびしいだろうなーと、深夜におやつをほおばりながら油断していましたが、交代出場の選手の活躍もあり一気の3ゴールでの逆転勝利はとても驚きましたし、サッカーの面白さや怖さがつまっているようにも感じました。

 予選で戦った選手たちは、これから本選のメンバーに選ばれるよう、各所属チームでの活躍が期待されるところですが、23人から18人登録になることと、オーバーエイジ枠もあるようなのでさらに狭き門となりそうですね(A代表の選手も続々と名乗りをあげているようです・・・)。

 ですが、世界に目を向けるとすでにヨーロッパ主要リーグで活躍しているU-23の選手も多くいるそうで・・・。このなかに日本人選手が加わることを願いながら、選ばれる選手たちには本選でもイキイキとプレーしてほしいなーと思います。今から8月のリオデジャネイロオリンピックが楽しみです。ガンバレー日本!!
 

2016/02/06

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その6・番外編。過去の思い出・・・』
 こんにちは!山瀬です。今回は、現在SSSに居るコーチではありませんが、私の思い出とともに番外編として昔お世話になったコーチをご紹介したいと思います(最近、コーチ紹介の持ちネタも少なくなってきて、あせっている次第であります)

 現在、SSSに通われている会員数は約600人(その他のご協力いただいている会員を含めると約750人)とのことで、昔の規模よりかなり大きくなっていて、戻ってきた私も驚きました。当時は、中学生のコースも1つしかありませんでしたし、コーチの人数も5・6人だったと思います(Nさん、Tさん、Wさんなどにもお世話になりました。本人に了承を取っていないので、当時を知っている方に分かるようにイニシャルにしました)

 今回は、SSSのスタッフを経由し、現在Jリーグチームの通訳をしている白沢さんのエピソードをご紹介します。白沢さんは、当時からポルトガル語がペラペラで、私の現役時代はセレッソ大阪で通訳をされていました。

 そして話は遡り・・・私が通っていた当時のSSSの練習は河川敷のグラウンドで、照明も無く(軽トラックの荷台に乗せる簡易照明みたいなやつはありました)、防球ネットも低く、土のグラウンドでした。

 秋ごろからは、すぐに暗くなってボールが見えづらくなってしまうため、先に試合をした後、薄明かりで見えづらい中、基礎練習などでボールを扱っていた記憶もあります。

 その時代、コーチだった白沢さんの事ではっきりと覚えているのが、簡単に言うと「〇〇川に飛び込んだことです!」、それだけ聞くとおかしな人!?みたいに聞こえますが、練習中に川にボールが入ってしまい、果敢に泳いで取りにいったのです!

 流されたボールはちょうど川の真ん中ぐらいでしたし、足をつけて歩いて行ける深さでもなかったはずだと思います。なぜなら私の視野の横から白沢さんがいきなり泳いで登場したので、多分深かったのではないかと・・・。

 でも、とっさに子供のボールのために川に飛び込むとかある意味すごいですけど、今考えるとあぶなかったですよね・・・。良い子の皆さんは決して、決してマネをしてはいけませんよ! 私もマネはしていません。

 そして、時は流れ、私が現役の時に何度もセレッソとは試合をしているのですが、白沢さんには毎回声をかけてもらっていました。基本的に公式戦の試合前は、相手の選手やスタッフと話すのはチームとして禁止なことが多かったので、試合後に少しだけ話していました。試合後のスタッフはすごく忙しいと思うのですが(特に通訳は選手や監督の取材があるので)その中、いつも一声かけていただいていました。

 私がサガン鳥栖の時には、当時は乾選手や香川選手がまだ日本にいてバリバリやっていた時期のセレッソとの試合だったのですが、自分とハーフナー・マイク選手(現在オランダ、SSSに所属していたハーフナー・ニッキ君のお兄さん)が1点ずつ取り2-1で勝ったのは自分のベストゲームトップ5に入るぐらい良い動きができた記憶に残っているゲームです。

 試合後、白沢さんも「ユキ、動きよかったな!」とおっしゃってくださいましたし、子供の頃から成長した姿を見せることができて、サッカー選手として大変嬉しい瞬間でもありました。

 また、白沢さんと岩越校長の話の中で、Jリーグでは選手も含めてSSS関係者とよく会うことや、Jリーグチームにも負けないSSSの育成の成果だともおっしゃっていたようです。振り返ってみると、実際に私もSSSの卒業生や関係者と会うことが多かったと思います(もちろん兄もその一人ですが・・・)。

 ちなみに白沢さんは、今年からセレッソ大阪を離れ、アビスパ福岡で通訳をされると聞いています。その白沢さん、セレッソ大阪では“ガンジー”(インドの偉い人)と呼ばれて親しまれているとマリノス時代のチームメイトの乾選手(現在スペインのエイバル所属)が言っていました。おそらくアビスパでも、その人柄と風貌?を生かして活躍されていると思います。
 

2016/02/03

 

▲ページ上へ

 


鈴木 政裕

全日本少年サッカー大会を終えて
 12月25日から29日に、鹿児島市で「第39回全日本少年サッカー大会」が行われ、SSSは、北海道代表として参加してきました。今大会からは、長期のリーグ戦を経て、勝ち抜いてきたチームによる全国大会の開催というJFAの理念に基づき、初の冬開催となりました。北海道としては、積雪期間なので、大会に向けた調整が大変難しいところでありましたが、多くの方々のご協力で、最大限の準備をすることができました。ありがとうございました。

 さて、決勝トーナメント進出をめざした1次リーグでは、初戦でセントラルFC(宮崎県代表)と対戦。前半と後半立ち上がりにSSSらしい積極的な攻撃で3点先取。しかし、その後、相手の前線からのハイプレッシャーからSSS選手の足が止まり、ショートカウンターから2失点。結果は3対2で勝利となります。

 次は、FC今治(愛媛県代表)と対戦。相手の俊足FWを中心とした縦に速い攻撃とショートカウンターに苦しめられ、前半だけで3失点。ハーフタイムのミーティングでは、相手のストロングポイントを押さえるための手立てとSSSらしい攻撃の見直しをして、後半スタート。よい判断からの積極的なプレーが数多く見られ、見事に4得点!最後の逆転となる4点目は、アディショナルタイムラスト1秒。劇的な勝利でした。

 引き分け以上で決勝トーナメント進出が決まる3戦目は、FC ENFINI(岐阜県代表)と対戦。ワイドなポジショニングからのスピードとテクニックのある積極的な仕掛けに翻弄され、3失点。SSSも反撃するものの、1点しか返せず、敗戦。と同時に決勝トーナメント進出を逃してしまいした。

 ですが、3試合を通してSSSらしいアイディアあふれる攻撃をたくさん見ることができました。多彩な仕掛けとパスの判断を楽しむアグレッシブなプレーが随所に見られ、ピッチ内から躍動感を感じることができました。その中、自分たちで声を掛け合って、チームとしてのつながりを感じる守備もあり、成長を感じました。

 今回、冬開催となったことで、3試合共に感じたことが2つあります。1つ目は、フィジカル的に優れた選手がたくさんいるということ。2つ目は、8人制サッカーでフィニッシュにたどり着くまでの型をもっていて、選手たちがそれに自信をもっているということ。SSSとしても、柔軟な判断力を高め、考えるスピードを上げ、自分たちでコミュニケーションを図って対応できるよう、準備をしてきたつもりでしたが、3試合で8失点という結果からもわかるとおり、相手のストロングをまともに受けてしまう形となってしまいました。

 大会の優勝チームは、埼玉県代表のレジスタFC。身体の大きさは、SSSの選手と大きな差は感じませんでした。しかし、3つの違いを感じました。1つ目は、足の運び。相手がどんなに速くて強くて大きくても、粘り強く足を運び、食らいついて、ボールを奪う。それを連続する勤勉な守備。2つ目は、考えるスピード。攻守ともにボールの争点の状況を見極め、次…次…次…と予測し、先に先に動ける判断の速さ。3つ目は、個とチームのメンタルの強さ。どんな状況になっても、チームのために「あきらめない」「我慢する」。仲間を動かしたり、認めたり、叱咤したりする声。自分たちでサッカーをしている(自立し責任をもってプレーしている)空気がピッチ内からひしひしと伝わってきました。自分を表現することができる選手、そして、そういう選手の集団が、タフなゲームでも躍動感のあるサッカーができるのだと再認識できました。この3つは、どんなスタイルのサッカーをめざすにしても、とても重要なことだと感じました。

 自分たちの目標に手が届くまで、あと一歩だった6年生。敗戦後も、その夜のミーティングでも、感じた悔しさと流した涙…ずっと忘れないことでしょう。足の運び、考えるスピード、メンタル…君たちは、悔しさから学び、今後、きっと自分たちの力に変えてくれると信じています。甘えん坊集団だった君たちが、このステージまでたどり着き、あと一歩のところまできました。5年生の時に、コーチが初めて君たちのプレーを見たときには、このステージに立つ君たちを想像することはできませんでした。それだけ大きく成長したということです。

 FC今治戦の後半、あれが君たちのもっている力です。終了のホイッスルが鳴るまで、自分を信じ、仲間を信じ、考えて走り続けていました。次々とボールを要求し、SSSらしい積極的な攻撃。ハーフウェーラインを越えさせないほど、声をかけあい連動した守備。ベンチにいる選手も必死に送る仲間への声。躍動する君たちに感動しました。なぜ、そんな試合ができたか…しっかりとした根拠がある。オン・ザ・ピッチもオフ・ザ・ピッチも、自分たちでよりよくなるよう、本気で取り組んできた。嫌なことも面倒くさいことも、本気で…。だから輝ける瞬間があったのです。すばらしい試合を魅せてもらった…ありがとう!

 でも…全国でわかったことがあるよね、我々よりもっと本気で積み上げてきていた選手たちがいたということ。1年後、3年後…追い越せるように…。感じた悔しさ、見つけた課題、大切にしてほしい。自分と仲間を大切にしてほしい。夢や目標を大切にしてほしい。前を向いて、なりたい自分に近づいていってほしい。悔しさと夢に向かう期待は、その歩みを力強くするエネルギー。これからの君たちに、ますます期待しています。

 最後になりましたが、今大会では、遠く鹿児島まで、多くの方々に足を運んでいただき、また、札幌からもたくさんの応援をいただき、感謝の気持ちでいっぱいです!みなさんのあたたかい声援にささえられ、最後まで頑張ることができました。本当にありがとうございました!
 

2016/01/26

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

ターニングポイント
 SSSの選手の皆さん、保護者の皆様、また私のスタッフ日記をご愛読して下さっている方々(いるのでしょうか??)、ご挨拶が遅くなってしまいましたが、新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 私、山瀬は、新年早々の3日から6日にかけて行われたレギュラーの市川遠征に帯同し、子どもたちと一緒にいろいろと勉強してきたところです。
 
 さて、話は(強引に)変わりますが、《「15歳の選択」僕らはこうしてJリーガーになった。(寺野 典子著)》という書籍を目にする機会がありました。

 と、紹介しておきながら、私はこの本自体をじっくりとは読んではいませんが、この本には元日本代表の宮本恒靖選手の「15歳のとき、挑戦することの意味を知った。」を筆頭にプロで活躍する19人のサッカー選手たちが15歳のターニングポイントに何を考え、どんな決断をしたのかが紹介されています。

 そして本のタイトルを見たとき、私の人生のターニングポイントもまさに15歳の時だったなぁと、自分自身をふと振り返るきっかけにもなりました。

 この本ではありませんが、今回はSSS出身のJリーガーとして15歳の時にどんな決断、考えをしたのか紹介させて頂こうかと思います。

 私は昔、将来の事を深く考えたり、計画しているようなしっかり者では全くなく、中学時代までは、ただサッカーが楽しいから続けているような感じでした。

 チームメート同士も仲良く、練習も楽しく、試合をすればほとんど負けず(コンサドーレとは五分五分だったと思います)、チームの力を示すことや、また自分も活躍できることで、サッカーの楽しさを感じていました。

 その中、中学3年生の途中までは特に明確な目標を持ってという訳ではなく、楽しく好きだからサッカーを続けていたと思います。

 転機といいますか、自分が変わっていったのは高円宮杯の予選中や終わった頃でした。私たちの代は高円宮杯で全国3位の成績を残すことができ、札幌に帰ってきた頃にはチーム内で高校どこ行く?どうする?などの会話をよくしていました。

 私は兄が通っていた札幌市内の私立高校を第一候補で考えていました。チームの何人かも同様で、1つ上の代も非常に強いメンバーがそろっていたため、そのことも要因の一つでした。

 ですが、ある日岩越コーチに「J下部組織のマリノスユースに行って挑戦してみろ」と進路相談中にお話がありました。正直最初は、あまり前向きではありませんでしたが、当時兄がコンサドーレでプロになるなどの影響もあり、少しずつ自分の考えが変わっていったのを覚えています。
 
 私の中では、私立高校の部活で気心のしれた仲間たちと選手権などで活躍した後にプロになる、もしくはマリノスユースというプロになるには絶好の場所でサッカーをするのかで迷っていた時期だったと思います。

 最終的には親にお願いをしてマリノスユースに行かせてもらう決断をしました。宮本恒靖選手の「15歳のとき、挑戦することの意味を知った」ではないですが、“マリノスユースでやる”というのが15歳のときの私の決断でした。

 それはまさに自分の人生の一番のターニングポイントでしたし、1番大きな挑戦でした。まずは、マリノスユースの練習に参加し、自分のプレーで認めてもらうことからのスタートで、最初から入れるという保証はありませんでした。

 当時のマリノスユースはちょうどフリューゲルスと合併し横浜F・マリノスになった時期でした。その2つのチームから選手が絞られることや、3つの支部のジュニアユースからのユース昇格組、さらに一般のセレクションも含めると、約300名程度から絞られたと聞いています。その中私は、なんとか入ることができました。

 当たり前ですが、マリノスユースでは誰1人と知り合いはいなかったですし、実家から離れ今までの仲間からも離れ(当時は携帯電話をほとんどの人が持っていませんでした)、1人で横浜に挑戦しに行こうと腹をくくった時には、高校3年間でプロになって札幌に帰ってくるんだ、そのままトップチームに昇格するんだという強い意志を持つことができました。

 と、私の場合の“15歳の選択”はこのような感じになるのですが、みなさんはみなさんそれぞれの選択があると思いますし、どのような道を選んだとしても自身の目標に近づけるよう、決意を持って頑張って欲しいと思います。

 今回は、子どもたちにとって何らかの参考になればと思い書かせて頂きました。(ちなみに、高校の部活動でもJユースでも、SSSよりきついし厳しいですよ! 特にフィジカルトレーニングが・・・でも挫折せず乗り切れば、強く良い選手になれる可能性が高まります!)
 

2016/01/13

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その5』
 こんにちは!山瀬です。今回は、前回の予告通り、岩越コーチからのお言葉パート2をアップしたいと思います。

 私の記憶に残っている2つ目は、「試合中、他の誰かがやってくれると思ったらだめだ!毎試合自分が決めるぐらいのつもりでプレーしないと!」と、この言葉を高円宮杯全道大会の決勝の前にもらい、実際に“自分が点を決める”という強い覚悟をもって試合に臨むと、ハットトリックをして全国大会行きを決めることができました(できすぎの話ですが、本当のことなので。えっへん)。

 その後のサッカー人生でも“自分が試合を決める(点を取るだけじゃなく決定的なことをするという意味で)”とはっきりと気持ちを持って臨めた試合は、良いパフォーマンスから、結果にもつながっていたと思います。

 それは1試合だけの話ではなくシーズンを通してもそうでした。私は2009年シーズンの途中(夏のマーケット)で、横浜F・マリノスからサガン鳥栖へ移籍したのですが、シーズン途中という事もあって即戦力(助っ人外国人的な立ち位置)として結果に直結する活躍を期待されました。監督からも「低迷するチームを引き上げてくれ!」と直接言われプレッシャーも大きかったです。

 もし、自分がサガン鳥栖に貢献できないと「こいつ何でわざわざビッククラブから来たの?」、「なんでこんな奴、高い金出してとったんだよ」など色々なことを言われるな、といような不安も正直ありました。ですが、そういうものを跳ねのける強い意志で“選手生命をかけるつもりで臨もう”と、良い意味で危機感を持って臨めたシーズンでした。

 結果論になるのですが、この年は自分でも納得のパフォーマンスを出せたシーズンでしたし、チームも昇格争いまで引き上げることができたと思っています。

 メンバー、メンバー外、スタメン、ベンチなどの立場に関わらず、練習や試合に対して、常にポジティブに臨む姿勢や、練習後のケア、自主練、コンディション管理など、この辺りも自分の気持ちの持ちようで変えることができると思います(逆に言うと、気持ちの部分で戦っていないと、良いパフォーマンスも良い結果もでません・・・当たり前ですが)。

 さて、皆さんもまずは気持ちの部分(精神面)を鍛えて、試合に臨んでみましょう! 今までより高いパフォーマンスで、結果もついてくるかもしれませんよ!
 

2015/12/18

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その4』
 こんにちは!山瀬です。今回は前回の続きで岩越コーチとの出来事などをもう少し掘り下げて書いていこうと思います。

 前回のスタッフ日記にも書きましたが、私は小学生、中学生とSSSで1対1の強さ、うまさを身につけることができたと思っており、その後も対人の強さを自分の武器としてサッカーを続けることができました。

 プロ時代でも1対1はかなり自信がありましたし、周りにも認められていたと思います。そして、その力が付いたのも、小さいときからの対人練習の繰り返しの要素が大きかったと振り返っています。
 
 当時、岩越コーチに指導してもらったことの中で、今でも覚えている事が2つあります。まず、ひとつ目は、生活面を含めた精神面のことで、「サッカーの試合で、目立つ良いプレーをする人間が率先して、試合以外の時もしっかりとした見本(チームの規範)となるように行動をしろ! そういう所も周りの人たちはよく見ているんだぞ!」と、いうものです。

 当時は“ふーん”そんなものかな?くらいにしか捉えてなかったと思うのですが、厳しいプロの世界を経験するうちに、プレー以外の人間性の部分も含めて評価されることも大切だと気づくことになりました。

 これは、岩越コーチだけではなく、私がユース、プロと経験してきた中で、どの監督、コーチも、プレーだけではなく人間性の部分を大事にされており、「良い選手ってのは人間性もすばらしいものだ!」と言っていた方もいました。

 実際、自分が所属してきたチームの中でも“すごい”と思った選手では、横浜Fマリノスだと中澤選手や、那須選手(現浦和レッズ)、サガン鳥栖だと1学年下ですが豊田選手など、やはりサッカーがすごいなと思った人は、人間性も含めてすばらしく、全てではないかもしれませんが、つながってくる部分が大きいのだなと感じました。

 2つ目は・・・と、書こうと思いましたが、また長くなってしまいそうなので、次回の日記に回したいと思います。決して、日記のアップ回数を稼ぐためではありません。悪しからず・・・。
 

2015/12/06

 

▲ページ上へ

 


田古嶋 愛子

悲喜こもごも・・・チャンピオンシップ
 今年からJ1リーグが1st、2ndと各ステージに分かれたリーグ戦となり、さらに年間王者を決めるチャンピオンシップが行われていますね。11年ぶりとなるチャンピオンシップ形式ですが、まだまだ賛否両論あるようですね(みなさんはどのように感じていますでしょうか?)。

 そして、先日のチャンピオンシップ準決勝、1st優勝で年間勝ち点2位の浦和レッズと年間勝ち点3位のガンバ大阪の試合は、トーナメント戦ならではの一発勝負の面白さが凝縮されたような戦いだったと思います。

 90分では決着がつかず延長戦に入ったので、シーズンとは違う疲労と緊張感からでしょうか、普段は絶対にしないようなシュート性のバックパスで「終わったな・・・喝!」という大ピンチからのガンバ大阪の決勝ゴールはまさに「あっぱれ!!」でしたよね。

 迎えた年間王者決定の決勝戦、2nd優勝で年間勝ち点1位のサンフレッチェ広島対ガンバ大阪の第1戦目は地上波のゴールデンと言われる時間帯でした。

 私は業務の都合上、録画観戦だったのですが、テレビではずーっとこの1試合で王者が決まるような話しぶりでしたので、『たしか決勝はホーム&アウエーだったよね・・・?』と、白熱した展開のさなか録画で見ていることをすっかり忘れ、ハーフタイム中に調べてみようと気軽にJリーグ公式サイトにアクセスすると、既にライブでは結果が出ており、観戦途中に結果を知ってしまう大失態でした。。。
 
 ですが・・・結果を知っていても、あのハラハラ・ドキドキ感はとても楽しめましたので、もしかすると初めてテレビで見ていた方々にもサッカーの面白さが伝わったのでは、と淡い期待をしています(その為にもしっかりとレギュレーションを含めて伝えてもらった方がよかったのではと思いますが・・・)。

 サンフレッチェのホームとなる第2戦では、王手をかけたサンフレッチェにガンバがどのように挑んでいくのか楽しみです!!
 

2015/12/05

 

▲ページ上へ

 


山瀬 幸宏

『山瀬的コーチ紹介その3』
 こんにちは!山瀬です。昔のコーチの様子や練習での出来事などをなるべく多く紹介できるよう、鈍ってきた?頭をフル回転させ自分の記憶をたどっているところです。

 私はSSSで多くのコーチに指導してもらいましたが、中でも1番長く指導してもらったのは岩越コーチだと思います。今回と次回の日記では当時の岩越コーチの指導や練習のことなど、自分の記憶の範囲内ですが紹介できればと思います。

 当時の練習では、まずみんなでブラジル体操をしてから練習に入っていました。それから基礎練習をして、対人の1対1や2対2という流れが多かったような気がします。特に岩越コーチは対人練習が多かったと思います。

 もちろん他の練習もありましたが、やはり私は対人練習の記憶がとても強く残っています。1対1などはやっていても楽しく、そして実際のプレーの中でも、とても重要な部分です(私のサッカー選手としての経験の中でも、1対1の強さとその重要性を強く感じました)。

 当時、自分の代と1つ上のチームは、対人が強い選手が集まっていた印象があり、中でもFW、MF、DFの中心ラインに1人ずつは道内トップレベルの選手が居たと思います。

 私の代の場合はDFの矢野君(SSSホームページにも載っていますが、高卒で柏レイソル入団)と、よく対人練習をしていました。私も1対1には自信を持っていましたが、矢野君も本当に強く、高いレベルで練習を繰り返したことがお互いのためになったんだと思います。

 実際に当時の試合では矢野君ぐらい守備が“つよっ(強い)、おもっ(重い)”と思う選手はいなかったと思います。普段の練習から高いレベルで行うことで実際の試合の相手が軽く感じました。そういう意味では同期にプロレベルのDF(というかプロになったのですが)がいてラッキーでしたし、そのおかげで対人の強さを手に入れることができたと振り返っています。

 ですが、プロの世界に入り、対人にはかなり自信のあった私なのですが入団したチームで上には上がいるというか、“あの人は絶対抜けない”くらいのレベルの選手が何人も出てきました。

 さて、みなさんはチーム内にお互いに高いレベルで高めあって、ガチンコの真剣勝負をできる相手がいるでしょうか?

 試合で1対1の局面でほぼ抜ける、またはほぼ抜かれないくらいの一つ飛びぬけた能力の高さをつける、そのくらいの意識で取り組んで欲しいです。(全国レベルは当たり前で、世界レベルを意識してプレーできるぐらいの選手が育ってほしいものです!)。

 このように高い意識を持って1対1などの対人練習を繰り返すことで強い選手が生まれてくると思います。これが、SSSの選手育成の良い伝統でもあり、ストロングポイントとして挙げられることだと思います。

 ちなみに今練習を見ているジュニアユース1年生たちも1対1などでは、楽しそうに積極的に取り組んでおり、伝統は継承されているようです(本当は基礎のパスやリフティングも対人練習ぐらい積極的に取り組んでほしいものです・・・)。
 

2015/11/28

 

▲ページ上へ

 

<< 前の10件  次の10件 >>